聞き違い・読み違いの心理 

2015/02/26
Thu. 20:10

エレベーターに乗り、5階に着いたときの音声案内の声が

『誤解です!!誤解です!!』

と聞こえた。

心にやましいことが・・・・・あった!




本を読んでいて、『数組の~』を

『教祖の~』と読み違えた。

意外と洗脳されやすいタイプでは・・・・・ある!




テレビをつけたままパソコンをさわっていたら

『子宮、調べてください』と聞こえた。

『至急、調べてください』だった。

・・・・・・不安なお年ごろなのである!



夢に深層心理が表れるというのはフロイトやユングの心理学ですが、わたしはどうもこの読み違い、聞き違い
にもそれと似たような人のこころが働いている気がしてしかたがないのです。


そういえば、川柳カードを制作してるのは兵頭全郎さんとこの印刷屋さんなのですが、その会社名を聞いた時の
聞き違いをふと思い出しました。


わたし 「なんていう名前?」
全郎  「私家本工房。」
わたし 「え?しかばね工房?」
ちかる 「え?わたし、すかぽん工房に聞こえた。」


ねっ!!





   背を向けた男が「混」と咳をする     佐藤みさ子


   どーんと喰らいCry包帯娘      ようこ








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北田辺2月句会 

2015/02/23
Mon. 19:23

北田辺句会はくんじろうさんのお宅である長屋で行われます。
少し遅れていって引き戸を開ける。
や、間違って天王寺動物園に来てしまった、と思いましたよ。
ずらりと呑み喰らう珍獣奇獣肉食獣15頭、否、15名。

ということは席題だけでも30句は作らなあきませんやん。ひいっ。
即吟が苦手なわたしにとって、実はかなりつらい時間ではあるのですが、でもこの緊張感も嫌いではなく。
結局最後に提出したのはわたしで、一体みんなの頭の中はどうなってるんだろうと、かち割ってみたい衝動が
どうにも押さえられません。




   これを塗る前にあれを剥いでおく     由紀子
   北斎は九十三歳まで重かった         

1句目、なんでもないことなんだけどねぇ、それをさらっと句にしてしまうのが由紀子さん。




   適当に猫と柳をあえてみる      茂俊
   赤門に長靴はいたアルマジロ      

北田辺句会唯一の草食獣と思われる。茂俊さんも川柳も。

ノートに殴り書きしてるんで、掲句間違ってたらすみません。



で、ここで終わらないのが北田辺句会。
後半戦は残った6名ほどで、さらに封筒まわし×2回。
3回目の声にはさすがに「待った!」をかけました。最後のほうは何でもありなのか何にもないのか、
果たしてこれは川柳なのか煎餅なのかもう。地獄という名の川柳天国。どっちやねん。


わたしのつゆ駄句駄句。

父を缶詰に母を瓶詰に
オロナイン塗って小指が難航す
ぐりの罪重ね塗りするぐらの罰
豆を煮るちょっと頭に鳩のせて
上あごに海苔はりつけて了解す
何色に塗れば家族と呼びますか
カピバラの童顔が重い朝
中国に筋状の隠し子1t分
キムジョンイルの頭頂部が早い
すぐに拗ねるシクラメンは死刑
プリン一個で三日口きいてへん
火葬場の怯えたような鼻である
あこがれの鼻の穴から牛乳
保冷剤とよく遊ぶ老夫婦
グラビアはやわらかい鉄でできている
痛きもちいいところに穴を掘っておく
生き返る父の脳波よネグリジェよ
これでもかと非常階段盛ってくる
死後三日セメントは大盛りに
前世は外側がピンク
とんぼになったら泳いできなさい
チューリップ咲いておばあさま唸る
しらたき撤去され毛糸煮ふくめて
スーパーの肉は寝間着の雅子さま



こんな句会、やってます。
基本、第4日曜日です。近鉄南大阪線北田辺駅、おりてすぐ。
興味のある方はぜひ。(ほんまの話です。)
一同舌なめずりしてお待ちしております。(うそのようなほんまの話です。)









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川柳木馬 

2015/02/19
Thu. 17:51

川柳木馬(第143号)の作家群像、兵頭全郎さんでした。

はっきり言います。全郎さんはめんどくさい男です。ゆえに全郎さんの川柳もめんどくさいです。

今回、湊圭史さんが論を、江口ちかるさんが鑑賞をされてるのですが、まあ読んでるこちらにもやりにくかったん
やろなあという感がひしひしと伝わってきてある意味おもしろかったです。(自称ドSですので)

それにしても湊さんの文章、惚れ惚れしますな。

『読後振り返ってみると、手ごたえのある句の「中心」的なものがなかったことに気づかされる。』
『こつんと突き当たる解決に至らないと納得しない真面目な読者にとっては、まったく困った事態』
『句の向こうの意味や「深み」に至りつかないとしたら、読者はいったい何を楽しんでいるのか。』
『ひとつひとつの言葉はしっかりと手渡されているのに、最後の句の言葉と自分の「読み」の方向がすれ違って
しまうような感覚だ。』
『二つの要素の異質性を「ぶつからないように」強調する』
『「取り合わせ」に用いた要素を微妙に現実の世界から引き離しつつ、ただし虚構世界のなんでもありに溶解
してしまわないようにバランスをもって配置し、意味を保った言葉からなる独特の空間を生み出す。』
『一句のなかでも、一つの平面に収束していかないで、読者の読みを複数のバラバラの方向に連れていこうとする』
『「取りはやし」のあり方が全郎句の各語のクリアさと呼応して、読者に不思議な体験を与えている。』

いやいや、湊さん、全郎さんをそんな甘やかしたらあきませんと思いつつも、「めんどくさい」をこんな風に
言うことができるんだなあと猛省。

ちかるさんはちかるさんで、いつものちかる調なやさしさでちゃんと句意を読み取って、わたしがまったく理解
できなくてあきらめた句や、無意識にスルーしてた句の解釈をしてくれてて、ほおーーーと思ったりしました。
あと『主体が注意深く取りのぞかれていること(これも全郎作品の特色だ!)』これなどは湊さんのおっしゃってる
ことと同じで、よく全郎さんの句をつかんではるなあと思いました。

全郎さん、、って書いてて鳥肌たってくるんでやっぱりぜんちゃんと書きます。
ぜんちゃんのふらすこてんやカードの連作、群作はほんまいつも10句中8句、いや9句(まさに十中八九)
「で、こいつ、何が言いたいんだ?」って思うわけです。わたしの読みの未熟さも当然あり、ぜんちゃんはぜん
ちゃんで「わかってもらわなくても結構です」オーラを発してるというか。
なのでいつもぜんちゃんの句は敬遠しがちなのでした。
最低の読み手です。再猛省。

ところが今回の書下ろし含めた自選60句、わたしなりに腑に落ちた、と実感できる句がありました。
ただ、解るといっても結局わたしの乏しい知識と経験をもってしか解釈しきれてないわけですので、作者の意図とは
違うのかもしれませんけど。


   頭蓋骨割る厳格な復元図

厳格な復元図があるから割れる。「厳格」からなんとなく父の頭蓋骨を思い浮かべ、狂気が見え隠れする中にも
不思議とやさしさを感じました。

   マジシャンでない方の名をハンカチで

ハンカチで、、、なんやねん!とツッコみたくなる。というかツッコみました。まさにこのマジシャンはぜんちゃん。
種明かししないで優越感に浸ってるいやなタイプ。

   
   山羊の目はマイナスドライバーで開く

山羊の目をそんなじっくり見たこともないのに、一瞬で誰もが理解できるポイントを見事に突いた一句。
あぁ、マイナスドライバーで、、開くわ。と思ったあとの薄気味悪さ。

   
   指の銃かまえてまろい窓掃除

指の銃ってあれでしょ、窓掃除用のスプレー。窓越しに奥さま(いないけど)ときゃっきゃ言いながら戯れている
ぜんちゃんを想像するととてもロマンチックです。窓と韻を踏んだまろいがよりあまい。奥さま、いないけど。

   
   大胸筋すぎてフライドチキン落とす

「大胸筋すぎて」に落ちました。くそっ。

   
   胃の中のゴムのカエルをぴょこぴょこする

「井の中の蛙」からでしょうね。胃の中のカエルぴょこぴょこ(ゴ)ムぴょこぴょこ。井の中よりさらにせまい世界。

   
   骨盤はモンシロチョウが受け持ちます

そう言われたら骨盤って蝶のかたちだ。で「受け持つ」が良い。引き受ける、みたいな意味なのかな。


   先頭を触れれば溶ける糸で編む
   象顔の人とそこそこすれ違う
   天然の小川があってノリツッコミ
   夜姫に光の当たる夜がくる
   馬術部に預けた砂を返してもらう
 


今回の木馬では、湊さんやちかるさんの文章を読んで、わたしももっとやさしくあらねばと思いましたし(多分、
すぐ忘れる)、ぜんちゃんの句のおもしろさを初めて(ごめんね)気づかせてもらった気がします。
わたしが句の解釈をしても、ぜんちゃんの句の波打ちぎわで遊ばせてもらっただけで、やっぱり深いところに何が
あるのかは結局わかってないんですけどね。
でも、今まで読み手を拒んでいたと思っていたものは、実はぜんちゃんが言葉に絡みついてる意味に自分は囚われ
たくないとあえて外したりずらしたり抵抗した結果、読み手には伝わりにくさとして受け取られてしまったのかもしれ
ないなあと思ったりしました。そんなこともちょっとうれしい発見でした。
かおりさん、送っていただいてありがとうございました。
 


   川に乗る?もっと都は燃えていろ     兵頭全郎








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飯田良祐句集『実朝の首』 

2015/02/16
Mon. 10:37

わたしは飯田良祐さんを知りません。
ただ、亡くなったあとに良祐さんについて書かれたものを読んだり、今でも句会のあとの飲み会で良祐さんの話を聞く
ことはあり、わたしにとって良祐さんは、いわば「伝説の人」なのでした。

句を読む時は作者にまつわる情報は排除して読むべきという意見があります。でもそんなことは不可能だと思って
読みました。ところが不思議なことに読み進めているうち作者が自ら命をたったという事実が頭から消えて一気に
読んでしまったのです。
そのくらい句に勢いがあり、惹きつけられる言葉の強さがあったのでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・



   ほうれん草炒めがほしい餓鬼草紙
   水虫によく効くという妖精
   父はまだ前田のランチクラッカー
   カマボコ板も私有財産である
   アスパラベーコンはふとモジリアニったりして

深い意味があるのかな。「深い意味なんてないんでしょ」と思わされてるだけかもしれない。
良祐さんの句は体言止めが多い。わたしは苦手である。言い切ることに自信がないからだ。
それを良祐さんはいとも簡単に言い切れる人。
自信があるとかないとかではなく、読み手に媚びない、よりかからない川柳を書く人なのだと思う。



   親族の記帳のあとの磨りガラス

時間の経過とともに視点が静かにずらされていくショートムービーのような美しさ。
死者からの目線?磨りガラスの向こう側に彼岸はあるのかもしれない。



   母一人子一人で棲む腋の下
   殻つきのまま落下する私生児

緊張感のなかにもちゃんとユーモアを盛り込んでくる感性はもちろんのこと、それを昇華せしめる職人技よ。
哀しい。けど面白い。けどやっぱり哀しい。



   母死ねとうるさき月と酌み交わす
   ハハシネと打電 針おとすラフマニノフ

この句を読んで〈愛〉〈憎〉のどちらを感じるかと言えば、わたしは〈愛〉を感じる。
上五の強い措辞を打ち消す力をそれ以下の文言に託している。それは無意識下で行われたものなのではないかな。
日常生活では気づかなかった本当の思いに気づかせてくれるのが川柳であり、また気づいてしまった本当の思いが
書けないのもまた川柳なんだと思う。



   経済産業省へ実朝の首持参する
   人間宣言というなら金券ショップ
   中華味でよく冷えた愛国心

社会、権力、制度等に思うことはあるもののそのまなざしは冷静で、そこに笑いが加味されここちよい嫌味となって句に
表現される。



   茶の間から雪隠までの猫車
   猫町に二つの月と猫車

猫車シリーズ。こういうひとつの言葉で連作する場合、その掬い取ってきた言葉(この場合、猫車)は作者に
なにかを喚起させるものがあったにちがいない。それはそこに投影された自分、と思う。
土や石を運び泥のこびりついた猫車に自分の姿を見ている良祐さん、を見ている月とわたし。



   ビニール袋の中のカサカサの勃起

なぜ「勃起」という言葉を使ったのか。わざわざこんな意味性の強い言葉を使う必要はなかったはずである。
それゆえに「カサカサの勃起」は良祐さん自身であり、自身への嘲笑、侮蔑を強く感じる。



   ガニマタでポテトサラダが座る席
   男娼が大外刈りの串カツ屋
   稲刈りが始まる通天閣展望台


良祐さんはこれらの句を大衆演劇の芝居小屋があった大阪の新世界という街を思い浮かべながら、その時のシーンを
ただ素描しただけと自解する。
が、これはもうしっかり川柳である。はじめから世の中を見る目が川柳というフィルター付きであるならば、わたしもその
目が欲しい。
もっとも「川柳とはこうやって書くんやで」と遠回しにだけど言いたい良祐さんの思惑もちらちら見えないこともないの
だけど。



   庭のない少年からの速達便

逃げ場のない少年の叫びは届かなかったのか。



   終電まで続く死神とのアヤトリ

アヤトリを終わらせたのは誰なのか。


   
   永遠に割れない鏡の前の舞

苦しくとも舞い続けることはできなかったのか。


最後の3句は良祐さんが自死されたと知って読むからそういう読みになってしまっただけのことである。
きっと良祐さんはそんなつもりで書いたのではないと怒ってはることでしょう。



   迂回路にキュウピイさんの行きだおれ   飯田良祐




・・・・・・・・・・・・・・


実際に良祐さんとかかわった方たちにとって、良祐さんの句に向き合うことはさぞかしつらい作業だと思います。
良祐さんの人となりも川柳の何たるかも知らないわたしが好き勝手なことを書いて不愉快に思われた方が
いらっしゃっるやもしれません。
それでもこうやって句集にしていただき、飯田良祐という川柳作家がいたのだということ、またその川柳が
飯田良祐を知らないわたしたちの中に残っていくことはすばらしく価値のあることなのだと、強く、思いました。

                                                           おわり










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うぐっ、うぐいすです。 

2015/02/12
Thu. 10:52

うぐいすが庭に(うちじゃない)やってきましたよ。春ですね。


おととい。

ほーーけきょ。

ちょ、つんのめりますがな。

ほーーっとけ。

うぐいすって毎年鳴き方を忘れるらしいです。
だから毎年はじめはへたくそなんです。

ほーーけきょきょけきょ

ながっ。

ほーーとっきょきょかきょく



きのう。

ほーーほけいきょ

お、おしい。

ほーーっとけえき



がんばるのだひでき。ゴールは近松門左衛門。



   ほとけおどけよる11月のほっとけえき      攝津幸彦


   しくじりの仏ほどけるほっとけぬ        ようこ

  






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ふらすこてん2月句会 

2015/02/08
Sun. 17:52

今回の三人選「細い」の最高得点句。

  
   ぬいぐるみの中身は痩せたぬいぐるみ    多佳子


3人の選者さんが揃って抜くのは久しぶりな気がします。わたしも1点入れました。
怪奇。ぬいぐるみに魂が宿ってるとか、ぬいぐるみの中身はおっさんだったとかならよくある話。
ぬいぐるみの中身はまさかのぬいぐるみなんですよ。しかもちょっと痩せた。
真夜中に、深いため息をつきながらぬいぐるみを脱ぐぬいぐるみ。
見てはいけないものを見てしまったあの感じ。ゾゾゾ。


わたしはどちらかと言えば意見が分かれたほうがワクワクするタチなので、今回はちょっと平和に終わりすぎて
物足りなかったかなー。



わたしがおもしろいと思った句。どちらも選者さん入れてはらへんかったのですが。


   馬鹿貝の細い電磁波ごと愛す     きゅういち


馬鹿貝の細い電磁波ですよ。悲しいじゃああ~りませんか。
ごと愛すですよ。やさしいじゃああ~りませんか。とふざけて書きながらふとこんなことを考えました。
電磁波→放射線→放射能
放射能に汚染された馬鹿貝のかわいそうなお話。真実の馬鹿はいったい誰なんでしょうっていう。
きゅうちゃんやったらこのくらいの仕掛けしてくるんちゃうかなと。考えすぎでしょうか。




   蚊のようなものに刺されてしまいけり      佳恵



「のようなもの」には怖さと滑稽があります。
事件があると、ニュースでよく耳にするフレーズ。
刃物のようなものに刺された痕がとか、鈍器のようなもので殴られた痕がとか、
ひものようなもので縛られた痕がとか、拳銃のようなもので撃たれた痕がとか。
「のようなものって何やねん。」とついツッコんでしまうのです。
で、この句の場合、それが蚊なわけですから怖さよりも滑稽が勝ってきます。
しかも「しまいけり」とか得体のしれないものに刺されたわりには危機感がないのがさらに可笑しい。



わたしの句


三階から赤道までの亜脱臼
三階の老女の指がやわらかい
波からのいたずら電話待っている
吊るしておいたら細くなりました


今回も不発川柳たくさん持ち帰りました。うーむ。

4句目は三人選で5点入れていただいたのですが、選者さんには抜かれませんで。
抜かなかった理由として
 祥文 「何を吊るすのかがわからない」ーーー確かに。
 茂俊 「読み手にあずけすぎ」ーーーごもっとも。
 全郎 「干し柿とか、なんでもそうでしょ」ーーーこら、想像力をもっと働かせろ。(←同級生ゆえちゃんと言い返す)
いちいち納得です。
わたしのイメージは干し柿のような、干しだいこんのような、干しにんげんだったのですが。分からんよね~。


二次会はやよいさんの隣に座りました。
2か月先まで笑わせてもらいました。
最近は日本酒にチェイサーとしてビールを飲むという裏ワザで二日酔いしなくなりました。

こういう句会の川柳は生ものですから、早速パロってみました。多佳子さんに敬意を表し乾杯。


   くんちゃんの中身は痩せたかがりさん    ようこ




そして、飯田良祐さんの句集「実朝の首」。一気に読んでしまいました。
「THE 川柳」。これぞ川柳と思いました。
軽み、おかしみ、穿ち満載のオール読みきり(当たり前や)。
前の句にひきずられることなくスパッと次の句に読み進んでいける気持ちよさがあります。


母一人子一人で住む腋の下     良祐
割箸であの丘越えて行きますか
餃子の皮で包む大原美術館


もう一度、今度は立ち止まりながら読んでみたいと思います。






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死ぬとか殺すとか、あります。 

2015/02/02
Mon. 20:48

19歳の名古屋の女子大生が77歳の女性を殺害したニュース。

女子大生はツイッターにこうつぶやいていたそうだ。
「『死にたい』とは思わないけど『死んでみたい』とは考える。
『殺したい』人はいないけど『殺してみたい』人は沢山いる。」


ドキっとした。わたしの中にもこれと似たような気持ちがあったからである。

もし願いがふたつ叶うとしたら、ひとつめの願いで苦しまずに自死。そしてふたつめの願いで甦る。
妄想なのに、願いはふたつという条件なのが何とも現実的でまぬけだ。
つまり本当に死にたいわけではないのだ。
女子大生が言うように、わたしは『死んでみたい』んだ、と思った。

そしてわたしの場合、『殺したい』人はいないけど『死んでもいい』人はいる。いた。

こういうニュースを見ると、本当に人を殺してしまった人とわたしの違いは何なんだろうといつも思う。
なぜならわたしは限りなく絶対に近く(この世に絶対なんてないから)自分は人を殺すことはないと信じているの
だけど、かといってこの女子大生の気持ちがまったく理解できないわけではないからである。

彼女とわたしのあいだに横たわっているものは屈強な怪物なのか、気付けばうっかりはみ出していた白線の
ようなものなのか。



そしてもし、わたしが人殺しになったら、この女子大生みたいに鬼の首を取ったかのように「ブログにはこんな
ことを書いてました」とか「こんな川柳を作ってました」とか言われるのだろうか。



   てのひらに蝶をころした痕があり      石部明
   


   ■■さんを殺しておいで夜が明ける     ようこ



   むこうから白線引きがやって来る     樋口由紀子



   
   


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2015-02