ごほうこく。
2015/10/26
Mon. 15:50
開場時間前、行列ができていてびっくりしました。しかも若い女の子たち。
詩ボクってそんなすごいことになってるんや~と思ったら、最初に行われるタイトルマッチに
出場される松永天馬さんという方のファンの子たちでした。ほお、そんな有名人だったのかーと
聞けば、ミュージシャン(アーバンギャルド)で最近はEテレにも出ている人らしい。
タイトルッチはこの方がチャンピオンになられました。やっぱりプロは違いますね。10ラウンド戦う
のですが、あまり中だるみせず、観客をうまく巻き込みながらの朗読でした。第一ラウンドでいきなり
洋服脱いでパンツ一丁になるのはズルイなと思いました。わたしたち(川柳人)はそんなんには
騙されませんけどね。対するささりんさんは一般人。あとの懇親会で、やっぱり10ラウンドはむつかしい
ですとおっしゃってました。そのとおり前半はわたしの中でも優勢でした。
判定は観客がどちらが良かったか赤と青の画用紙を掲げて、その数(ざっと見て)で勝敗が決まる
というのもおもしろかったです。
さて、お待たせしました。くんじろうさんの結果です。
残念ながら、2回戦敗退でした。うーん、惜しかった。いけたと思ったんですけどねぇ。
『うちで飼(こ)うてる駱駝ときたら』ですよ。駱駝はくんちゃんであり、世のおとうさんなんです。
おもしろい詩なので、またどこかでみなさんに聞いていただきたいものです。
こちらのチャンピオンは30代の好青年で、長いレシートみたいなのに詩を書いて、読み終えた
とこをちぎってすてていくというパフォーマンス付き。詩の内容は奥さんが魚屋にいって生きのいい
コビトを買ってきて衣をつけてフライにして食べる話や、キヨタさんという力士で看護婦さんの話や、
もしも世界が100人の村田だったら、という話など、川柳人にはちょっとたまらない内容でした。
「もしも世界が100人の村だったら」のパロディというだけでヤラれた~だし、わたしはクドカンの
「あべ一座(あべ上がりの夜空に)」を思い出したりして、一緒に応援に行った川柳仲間やもちろん
くんじろうさんも文句なしのチャンピオンだったと思います。
みなさんそれぞれに自分の世界があり、詩のかたちもさまざまで、またそれを堂々とあるいは
ぼそぼそと(でも滑舌はよく)表現されていました。敗退した方の中にももっと聞きたかったなあと
思う人もいました。
見てるとしたくなりますね、朗読。 できませんけどね。
余談。
恵那の昭和なラウンジのお姉さんにめっちゃ勧誘されました。「うちで働いたら№1になれる」って。
お姉さんに悪気はないし、褒めてるってことも分かるねん・・・けど、
なめたら、、、なめたらいかんぜよ!
詩ボクってそんなすごいことになってるんや~と思ったら、最初に行われるタイトルマッチに
出場される松永天馬さんという方のファンの子たちでした。ほお、そんな有名人だったのかーと
聞けば、ミュージシャン(アーバンギャルド)で最近はEテレにも出ている人らしい。
タイトルッチはこの方がチャンピオンになられました。やっぱりプロは違いますね。10ラウンド戦う
のですが、あまり中だるみせず、観客をうまく巻き込みながらの朗読でした。第一ラウンドでいきなり
洋服脱いでパンツ一丁になるのはズルイなと思いました。わたしたち(川柳人)はそんなんには
騙されませんけどね。対するささりんさんは一般人。あとの懇親会で、やっぱり10ラウンドはむつかしい
ですとおっしゃってました。そのとおり前半はわたしの中でも優勢でした。
判定は観客がどちらが良かったか赤と青の画用紙を掲げて、その数(ざっと見て)で勝敗が決まる
というのもおもしろかったです。
さて、お待たせしました。くんじろうさんの結果です。
残念ながら、2回戦敗退でした。うーん、惜しかった。いけたと思ったんですけどねぇ。
『うちで飼(こ)うてる駱駝ときたら』ですよ。駱駝はくんちゃんであり、世のおとうさんなんです。
おもしろい詩なので、またどこかでみなさんに聞いていただきたいものです。
こちらのチャンピオンは30代の好青年で、長いレシートみたいなのに詩を書いて、読み終えた
とこをちぎってすてていくというパフォーマンス付き。詩の内容は奥さんが魚屋にいって生きのいい
コビトを買ってきて衣をつけてフライにして食べる話や、キヨタさんという力士で看護婦さんの話や、
もしも世界が100人の村田だったら、という話など、川柳人にはちょっとたまらない内容でした。
「もしも世界が100人の村だったら」のパロディというだけでヤラれた~だし、わたしはクドカンの
「あべ一座(あべ上がりの夜空に)」を思い出したりして、一緒に応援に行った川柳仲間やもちろん
くんじろうさんも文句なしのチャンピオンだったと思います。
みなさんそれぞれに自分の世界があり、詩のかたちもさまざまで、またそれを堂々とあるいは
ぼそぼそと(でも滑舌はよく)表現されていました。敗退した方の中にももっと聞きたかったなあと
思う人もいました。
見てるとしたくなりますね、朗読。 できませんけどね。
余談。
恵那の昭和なラウンジのお姉さんにめっちゃ勧誘されました。「うちで働いたら№1になれる」って。
お姉さんに悪気はないし、褒めてるってことも分かるねん・・・けど、
なめたら、、、なめたらいかんぜよ!
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おしらせ。
2015/10/23
Fri. 11:40
くんじろうさんが、第10回「詩のボクシング」全国大会でチャンピオンになり、あれからもう5年。
あのくんじろうが、ふたたび!! ですよ。
明日、「詩のボクシング」史上初となる2大イベントが連続開催されます(岐阜県多治見市)。
15年振りとなるタイトルマッチと選抜式・全国大会!
そして、くんじろうさんは選抜式全国大会に出場されます。
詳しくはこちら。
わたしも応援に行こうと思っています。
5年前はわたし、くんちゃんとはお話したこともなかったし、
「詩のボクシング」の存在も知りませんでした。
なので、今回みなさんが言葉と声と想いをどうやって人に伝えるのか、
そして私たちにどのように伝わるのか、とても興味しんしん。
たのしみだ。
お近くにおすまいの方はぜひ。
あのくんじろうが、ふたたび!! ですよ。
明日、「詩のボクシング」史上初となる2大イベントが連続開催されます(岐阜県多治見市)。
15年振りとなるタイトルマッチと選抜式・全国大会!
そして、くんじろうさんは選抜式全国大会に出場されます。
詳しくはこちら。
わたしも応援に行こうと思っています。
5年前はわたし、くんちゃんとはお話したこともなかったし、
「詩のボクシング」の存在も知りませんでした。
なので、今回みなさんが言葉と声と想いをどうやって人に伝えるのか、
そして私たちにどのように伝わるのか、とても興味しんしん。
たのしみだ。
お近くにおすまいの方はぜひ。
[edit]
欝金記①
2015/10/21
Wed. 17:27
「うこんき」だと思いこんでました。「うこんぎ」でした。
渡部可奈子(昭和13年松山市生まれ←わたしも同じ松山出身なのだ!)が41歳の時の句集です。
その若さで、自分をまた世の中を深く見つめ、その受け止め感じたことを美しくたくましく表現できている句を
前にすると、なんとまあわが句の愚かでお粗末なことよ、この恥さらしよ、と思わずにはおれません。
バケツ提げる 止観の海を提げる
環にかえるときは厭離の耳かざり
虚空にあって血書は神をみていない
穢土のあゆみの一夜はぬれた髪に寝ぬ
肋のカノンが聞こえたらふたりの冥府(たび)
そこなくぐつ そこな笑いの短き有(う)
仏教用語を使いこなしている。可奈子は肺結核を患い療養生活をしていた時期があった。
だからかな、「止観の海」とか「厭離の耳かざり」は、常人ではなかなか気づきえない可奈子独自の
目線で静かに且つ確実に生を見つめている気がします。俗にまみれたわたしなどは、これらの言葉に
これぞ無我の境地とばかりに、にわか可奈子信者になってしまうのである。
可奈子はどのようにして句を作っていたのかなあ。現実をまず自分にしっかり引きつけておいてから
伝えたいことをはっきりさせてから言葉に変換していくという作業をしていたのかな。一語一語に無駄がない。
だからこそ現世はつまり「短き有」と断定することにためらいは必要ないし、その強さに圧倒される。
そこなくぐつ そこな笑いの短き有。かっこいい。
何を見し眼鏡ぞ春の未明に澄む
横切るは白い僧形 鷗の海
目に青葉 快走すべし泥の船
秋灯火 うまいと呑まむ針千本
死ぬものかぴえろの愛撫にはなれる
絵双紙のひとつ目小僧とならば契れ
花ざかりの鹿の子をえらぶ縊死えらぶ
吊り橋の快楽をいちどだけ兄と
零の親しい うんと親しい片目の鮒
けもの死す しかも図鑑の奥ふかく
流行りのBL読みできそうな。無邪気さの中にもどこからか漂う禁断のにおい「針千本」「吊り橋の快楽」。
罪の意識から抑圧され歪んだ少年愛「ぴえろの愛撫」「片目の鮒」。
葛藤のすえ「縊死えらぶ」「けもの死す」のかなしい結末。だいじょうぶ、愛することは罪ではないのだ。
最後の句からまた最初の句へ戻ると、、、、さらに萌え。妄想だけでごはん3杯いける~。
革命や 日傘はぬるき血を流す
姉よりも先に首級をあげるべし
灯がついて狂いの生家どこにもなし
弾んだ毬に ははに介錯などいらぬ
雪舞うや 劣性つもりつもりし末
正面の鬱 その足は父母に向く
時計の渕に乞われ潰れる父似の耳
湯はむずがゆく炊け 血のひとり子
ひとつ屋根の下に住んでいた頃、家族、血というものに嫌悪を抱くなどと思ったことがなかった。
離れて初めて気づく違和、わだかまり。でもそれも本人にしかわからない「狂いの生家」であって、
そんなものは最初からないのかもしれない。
介錯というのは切腹をした人の背後から首をはねる行為。即死させて苦痛を長引かせないようにするのだ。
「弾む毬に介錯はいらぬ」だとまあふつうに面白い。でも「ははに」とチョロっと付け加えるだけで格段に
面白さはアップする。そこにリアリティを感じるからだ。そんなことを考える可奈子というリアリティが
虚のリアリティを強めているんだと思う。血とは揺るぎのないもの。いい意味でもわるい意味でも。
だから人の気持ちは揺らぐ。だから「むずがゆく」炊くんですね、可奈子さん!
(つづく)
渡部可奈子(昭和13年松山市生まれ←わたしも同じ松山出身なのだ!)が41歳の時の句集です。
その若さで、自分をまた世の中を深く見つめ、その受け止め感じたことを美しくたくましく表現できている句を
前にすると、なんとまあわが句の愚かでお粗末なことよ、この恥さらしよ、と思わずにはおれません。
バケツ提げる 止観の海を提げる
環にかえるときは厭離の耳かざり
虚空にあって血書は神をみていない
穢土のあゆみの一夜はぬれた髪に寝ぬ
肋のカノンが聞こえたらふたりの冥府(たび)
そこなくぐつ そこな笑いの短き有(う)
仏教用語を使いこなしている。可奈子は肺結核を患い療養生活をしていた時期があった。
だからかな、「止観の海」とか「厭離の耳かざり」は、常人ではなかなか気づきえない可奈子独自の
目線で静かに且つ確実に生を見つめている気がします。俗にまみれたわたしなどは、これらの言葉に
これぞ無我の境地とばかりに、にわか可奈子信者になってしまうのである。
可奈子はどのようにして句を作っていたのかなあ。現実をまず自分にしっかり引きつけておいてから
伝えたいことをはっきりさせてから言葉に変換していくという作業をしていたのかな。一語一語に無駄がない。
だからこそ現世はつまり「短き有」と断定することにためらいは必要ないし、その強さに圧倒される。
そこなくぐつ そこな笑いの短き有。かっこいい。
何を見し眼鏡ぞ春の未明に澄む
横切るは白い僧形 鷗の海
目に青葉 快走すべし泥の船
秋灯火 うまいと呑まむ針千本
死ぬものかぴえろの愛撫にはなれる
絵双紙のひとつ目小僧とならば契れ
花ざかりの鹿の子をえらぶ縊死えらぶ
吊り橋の快楽をいちどだけ兄と
零の親しい うんと親しい片目の鮒
けもの死す しかも図鑑の奥ふかく
流行りのBL読みできそうな。無邪気さの中にもどこからか漂う禁断のにおい「針千本」「吊り橋の快楽」。
罪の意識から抑圧され歪んだ少年愛「ぴえろの愛撫」「片目の鮒」。
葛藤のすえ「縊死えらぶ」「けもの死す」のかなしい結末。だいじょうぶ、愛することは罪ではないのだ。
最後の句からまた最初の句へ戻ると、、、、さらに萌え。妄想だけでごはん3杯いける~。
革命や 日傘はぬるき血を流す
姉よりも先に首級をあげるべし
灯がついて狂いの生家どこにもなし
弾んだ毬に ははに介錯などいらぬ
雪舞うや 劣性つもりつもりし末
正面の鬱 その足は父母に向く
時計の渕に乞われ潰れる父似の耳
湯はむずがゆく炊け 血のひとり子
ひとつ屋根の下に住んでいた頃、家族、血というものに嫌悪を抱くなどと思ったことがなかった。
離れて初めて気づく違和、わだかまり。でもそれも本人にしかわからない「狂いの生家」であって、
そんなものは最初からないのかもしれない。
介錯というのは切腹をした人の背後から首をはねる行為。即死させて苦痛を長引かせないようにするのだ。
「弾む毬に介錯はいらぬ」だとまあふつうに面白い。でも「ははに」とチョロっと付け加えるだけで格段に
面白さはアップする。そこにリアリティを感じるからだ。そんなことを考える可奈子というリアリティが
虚のリアリティを強めているんだと思う。血とは揺るぎのないもの。いい意味でもわるい意味でも。
だから人の気持ちは揺らぐ。だから「むずがゆく」炊くんですね、可奈子さん!
(つづく)
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ふらすこてん10月句会
2015/10/13
Tue. 16:58
三人選「音楽」
9点 ザックから第九を出してよくはたく 幸男
7点 音楽を抜いて小さな湖に 全郎
6点 音楽は豆炊く鍋に入れてある 柊馬
6点 霊安室から三味線が聞こえたが 祥文
5点 スカイツリーからご詠歌を散布する きゅういち
5点 ハモニカの穴は明日も友達だ 彰子
これだ!と思う句に出会えない時の選はなんでこんなに楽しくないのだろうか。
ここのところ、そういう状態が続いている。1句か2句は、まあ・・・これか・・な、という感じで選べるのですが、
あとは、わたしの中ではそれほど大差なく、その大差ないところでも、自分を納得させるようなその句をよしと
した理由があって選びたいのですが、なかなかそれも見つからないというのが最近のふらすこてんの現実です。
そして、高得点に選ばれた句も人の意見を聞いてなるほどと思えば少しはスッキリするんだけど、今回は
それもなく。
たとえば、
1句目川柳っぽい仕上がりになってます。でもなんでザックから?第九がベートーヴェンの第九だろうと
憲法第九条だろうと、だからなんなん?ク→九→く→くで韻を踏んでるかしらんけど、それで句意がおざなりに
なっては読み手はおいてけぼりをくらうだけ。
自分の句は棚の奥の奥の奥のほ~うに入れてますよ~。
音楽を抜いて小さな湖に?言葉でしか表現できない世界と誰かがおっしゃいましたが、それはつまり説明してるって
ことなんじゃないですか?言葉に書かれていないことを想像させるのが川柳のおもしろみなんじゃないですか?
3句目、音楽をもっと限定して欲しかった。ただの音楽だったら別に豆じゃなくてもいいわけだし。音楽では作者の
豆を炊くという営みに対する特別な思いが伝わってこない。
霊安室から三味線はおもしろいけど、これ575で作れなかったんでしょうか?
スカイツリーとご詠歌の取り合わせ。安易なくせにどや感が鼻につく。
こんなことを書いても結局これもわたしの偏見にすぎないわけで、読んでる人は不愉快でしょうし、書いた
わたしはスッキリするかと言えば、逆にむなしさが残るという、ああ、かなしきものをひとり漕ぐ秋の夕暮れ。
あ、一句できた。
夕暮れのかなしいものをひとり漕ぐ
あかん、あかん、抒情に走りすぎやし。
もしかしたら、ふらすこてんの句会から10日たっての報告というのは、こういう悶々とした気持ちの着地点が
見つからなかったからなのかもしれません。
ハモニカの句、いただきました。
穴がいいですね。音やメロディーや時間、それらをひっくるめたものが「ハモニカの穴」なんですね。
穴を外から見ているはずなのに、いつのまにかひとりぼっちでも安心していられる居場所としてその穴に
自分がすっぽり収まっているような気持ちになりました。穴のないものに穴を空けるのは簡単だけど、もともと
空いている見過ごしがちな穴をうまく使ったなあと思いました。
穴は友達。最悪(なんの?)これだけで十分なんです。そしてわたしは穴になりたい。
では、わたしの句、棚の奥の奥の奥のほうから取り出して、
姉として蝉の蛇腹を引っ張って
間引き菜がなれなれしくて困ります
秋がくるまで廊下に立たされる
父さんを壊した罪ですかこれは
関節を鳴らして柿は柿の木に
眼帯をしてりんどうのセピア色
アボカドのBGMが聞こえない
銃声やカーステレオに荒井由実
わ、めっちゃほこりかぶってるわ。けほっ。
9点 ザックから第九を出してよくはたく 幸男
7点 音楽を抜いて小さな湖に 全郎
6点 音楽は豆炊く鍋に入れてある 柊馬
6点 霊安室から三味線が聞こえたが 祥文
5点 スカイツリーからご詠歌を散布する きゅういち
5点 ハモニカの穴は明日も友達だ 彰子
これだ!と思う句に出会えない時の選はなんでこんなに楽しくないのだろうか。
ここのところ、そういう状態が続いている。1句か2句は、まあ・・・これか・・な、という感じで選べるのですが、
あとは、わたしの中ではそれほど大差なく、その大差ないところでも、自分を納得させるようなその句をよしと
した理由があって選びたいのですが、なかなかそれも見つからないというのが最近のふらすこてんの現実です。
そして、高得点に選ばれた句も人の意見を聞いてなるほどと思えば少しはスッキリするんだけど、今回は
それもなく。
たとえば、
1句目川柳っぽい仕上がりになってます。でもなんでザックから?第九がベートーヴェンの第九だろうと
憲法第九条だろうと、だからなんなん?ク→九→く→くで韻を踏んでるかしらんけど、それで句意がおざなりに
なっては読み手はおいてけぼりをくらうだけ。
自分の句は棚の奥の奥の奥のほ~うに入れてますよ~。
音楽を抜いて小さな湖に?言葉でしか表現できない世界と誰かがおっしゃいましたが、それはつまり説明してるって
ことなんじゃないですか?言葉に書かれていないことを想像させるのが川柳のおもしろみなんじゃないですか?
3句目、音楽をもっと限定して欲しかった。ただの音楽だったら別に豆じゃなくてもいいわけだし。音楽では作者の
豆を炊くという営みに対する特別な思いが伝わってこない。
霊安室から三味線はおもしろいけど、これ575で作れなかったんでしょうか?
スカイツリーとご詠歌の取り合わせ。安易なくせにどや感が鼻につく。
こんなことを書いても結局これもわたしの偏見にすぎないわけで、読んでる人は不愉快でしょうし、書いた
わたしはスッキリするかと言えば、逆にむなしさが残るという、ああ、かなしきものをひとり漕ぐ秋の夕暮れ。
あ、一句できた。
夕暮れのかなしいものをひとり漕ぐ
あかん、あかん、抒情に走りすぎやし。
もしかしたら、ふらすこてんの句会から10日たっての報告というのは、こういう悶々とした気持ちの着地点が
見つからなかったからなのかもしれません。
ハモニカの句、いただきました。
穴がいいですね。音やメロディーや時間、それらをひっくるめたものが「ハモニカの穴」なんですね。
穴を外から見ているはずなのに、いつのまにかひとりぼっちでも安心していられる居場所としてその穴に
自分がすっぽり収まっているような気持ちになりました。穴のないものに穴を空けるのは簡単だけど、もともと
空いている見過ごしがちな穴をうまく使ったなあと思いました。
穴は友達。最悪(なんの?)これだけで十分なんです。そしてわたしは穴になりたい。
では、わたしの句、棚の奥の奥の奥のほうから取り出して、
姉として蝉の蛇腹を引っ張って
間引き菜がなれなれしくて困ります
秋がくるまで廊下に立たされる
父さんを壊した罪ですかこれは
関節を鳴らして柿は柿の木に
眼帯をしてりんどうのセピア色
アボカドのBGMが聞こえない
銃声やカーステレオに荒井由実
わ、めっちゃほこりかぶってるわ。けほっ。
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川柳杜人
2015/10/07
Wed. 00:47
川柳杜人(発行人 山河舞句、編集人 広瀬ちえみ)に「榊陽子のレトリック」というタイトルで
全郎さんとかがりさんに評論を書いていただきました。
なんなんですかね、レトリックって。調べてみると言葉を巧みに用いて効果的に表現する技術、ということらしい。
この巧みにっていうとこにひっかかるんですけど。わたしは善良な市民を騙す詐欺師か。
これはちえみさんからのにこやかなる一発として受け取りたいと思います。
最初は全郎さん。
初めて参加した大会で特選。その後も大会のたびに準特選など、頂いてたんですね。いや~わたしも
結構やるやん。て言うてる場合か。ちゃうちゃう、まったくもう。原稿依頼があったと聞かされた時に、
「絶対けなしてや。」と念押ししていたのに、話が違う。『常套句や行きすぎた句にならないバランス感覚が
優れている』だの、『想像しやすさとモヤモヤ感の共存で読み手を遊ばせるバランス感覚がある』だの、
『作者としての直感が強み』だの、恐れ入ります。いつも辛口のぜんちゃんに褒められるとまあ、悪い気はしないが
へんに落ち着かない。が、だんだん雲行きあやしく、『最近はこのバランスを崩しているように感じている。』
ハイ、来た。上げといて落とすやつね。
わ、ほんまやわ、いや~恥ずかしいわ~、それ言わんといてってことが次から次へと。
そうです、ウケよう思てます。しかも自分がおもしろいと思ったことが、そのまま句に出てしまってるらしいですわ。
もっと演出に気を配って読み手を楽しませろと。ハイ。(なんて素直なんだ)
そして、以前のような平易な言葉を使って句を書くことに物足りなさを感じ、「ころす」など「使ってやった」感に
浸っている句が多くなっているとも。ハイハイ。(ちゃんと聞いてるって~)
でも、最後にはやさしく手を差し伸べてくれてます。
そして次はかがりさん。
かがり節が炸裂、いや爆裂しております。
これはわたしが白雪姫になって喋ってるのでしょうか。で、私を慕う7人の小人(ここに出てくるのは6人だけど)に
ダメ出ししていくという内容。
その小人の名前がとてもおもしろい。不安多爺(ファンタジー)、絵漏(エロ)、愚漏(グロ)、然吐ぃ巣人(サディスト)、
魔増悲巣人(マゾヒスト)、軟栓為(ナンセンス)。わたしの句をこれらに分類して言いたいことを言うのだ。
でもね、これ結局わたしが6つの顔を持ってるっていうことなんですよね。
なにを隠そうわたしはエログロナンセンス好きなのである(隠れてないか)。そしてわたしの中にSっ気とMっ気が
あって、それがやっぱり句にも現れてるんですね。なんともお恥ずかしい限りですな。
全郎さん、かがりさん、そしてちえみさん、ありがとうございました。
これらを胸に、今後とも精進してい・・・けるかどうかはわからない。(by不安多爺)
こうやって面と向かって(紙面と向かって?)褒められたりけなされたりするというのは、右肩をそっと掴まれて、
これでいいのか、こんなんでいいのかとやさしく揺さぶられ、問い詰められているような居ても立ってもいられない
気持ちになるもんですね。
(同人作品より)
セクハラもパワハラもないまんじゅうは 浮 千草
ゴミ箱の中に一軒家が建つ 都築裕孝
その先を問えばすずめに聞けと言う 鈴木せつ子
三日月が見ている血縁のその後 宮本めぐみ
幽霊は腹筋だけで立っている 鈴木節子
暑苦しいぞカンナのひとりごと 加藤久子
人間の舌は上手にできている 鈴木逸志
目の中に入れていたものお見せする 広瀬ちえみ
つまづいた花の芯など確かめる 大和田八千代
右側に行ってみようとういう首輪 須川柊子
アメリカにお手々引かれてホルムズへ 山河舞句
洟かんで擤んで日本をからっぽに 佐藤みさ子
全郎さんとかがりさんに評論を書いていただきました。
なんなんですかね、レトリックって。調べてみると言葉を巧みに用いて効果的に表現する技術、ということらしい。
この巧みにっていうとこにひっかかるんですけど。わたしは善良な市民を騙す詐欺師か。
これはちえみさんからのにこやかなる一発として受け取りたいと思います。
最初は全郎さん。
初めて参加した大会で特選。その後も大会のたびに準特選など、頂いてたんですね。いや~わたしも
結構やるやん。て言うてる場合か。ちゃうちゃう、まったくもう。原稿依頼があったと聞かされた時に、
「絶対けなしてや。」と念押ししていたのに、話が違う。『常套句や行きすぎた句にならないバランス感覚が
優れている』だの、『想像しやすさとモヤモヤ感の共存で読み手を遊ばせるバランス感覚がある』だの、
『作者としての直感が強み』だの、恐れ入ります。いつも辛口のぜんちゃんに褒められるとまあ、悪い気はしないが
へんに落ち着かない。が、だんだん雲行きあやしく、『最近はこのバランスを崩しているように感じている。』
ハイ、来た。上げといて落とすやつね。
わ、ほんまやわ、いや~恥ずかしいわ~、それ言わんといてってことが次から次へと。
そうです、ウケよう思てます。しかも自分がおもしろいと思ったことが、そのまま句に出てしまってるらしいですわ。
もっと演出に気を配って読み手を楽しませろと。ハイ。(なんて素直なんだ)
そして、以前のような平易な言葉を使って句を書くことに物足りなさを感じ、「ころす」など「使ってやった」感に
浸っている句が多くなっているとも。ハイハイ。(ちゃんと聞いてるって~)
でも、最後にはやさしく手を差し伸べてくれてます。
そして次はかがりさん。
かがり節が炸裂、いや爆裂しております。
これはわたしが白雪姫になって喋ってるのでしょうか。で、私を慕う7人の小人(ここに出てくるのは6人だけど)に
ダメ出ししていくという内容。
その小人の名前がとてもおもしろい。不安多爺(ファンタジー)、絵漏(エロ)、愚漏(グロ)、然吐ぃ巣人(サディスト)、
魔増悲巣人(マゾヒスト)、軟栓為(ナンセンス)。わたしの句をこれらに分類して言いたいことを言うのだ。
でもね、これ結局わたしが6つの顔を持ってるっていうことなんですよね。
なにを隠そうわたしはエログロナンセンス好きなのである(隠れてないか)。そしてわたしの中にSっ気とMっ気が
あって、それがやっぱり句にも現れてるんですね。なんともお恥ずかしい限りですな。
全郎さん、かがりさん、そしてちえみさん、ありがとうございました。
これらを胸に、今後とも精進してい・・・けるかどうかはわからない。(by不安多爺)
こうやって面と向かって(紙面と向かって?)褒められたりけなされたりするというのは、右肩をそっと掴まれて、
これでいいのか、こんなんでいいのかとやさしく揺さぶられ、問い詰められているような居ても立ってもいられない
気持ちになるもんですね。
(同人作品より)
セクハラもパワハラもないまんじゅうは 浮 千草
ゴミ箱の中に一軒家が建つ 都築裕孝
その先を問えばすずめに聞けと言う 鈴木せつ子
三日月が見ている血縁のその後 宮本めぐみ
幽霊は腹筋だけで立っている 鈴木節子
暑苦しいぞカンナのひとりごと 加藤久子
人間の舌は上手にできている 鈴木逸志
目の中に入れていたものお見せする 広瀬ちえみ
つまづいた花の芯など確かめる 大和田八千代
右側に行ってみようとういう首輪 須川柊子
アメリカにお手々引かれてホルムズへ 山河舞句
洟かんで擤んで日本をからっぽに 佐藤みさ子
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