木馬2015・秋 

2015/11/27
Fri. 00:09

木馬146号の作家群像にとりあげていただき、石田柊馬さんと飯島章友さんが文章を寄せて
くださいました。
未発表句30句を含む60句を載せていただいたのですが、まとまって読むと、なんともまとまりが
ないというか、地に足がついてないというか、足にいきなり頭がついているというか、一貫性が
ないというか、貫くほどの信念もないんだろうなというか、まあそれがそのまんまわたしということに
なるんでしょうけどね。

いやあ、まいりましたね。作句する時に問答を意識したことなどなく、え?みんな、そんなことしてるの?
というか、どんなことしてるの?っていうね、そんな初歩的なことも知らずに十数年川柳を作っているのを
柊馬さんにはまんまと見破られておりました。
でも、中村富二の言葉と言葉の衝突や、庶民的な共感性、渡部可奈子の大胆な省略と同様のものが
わたしの句の中にあるというお言葉、恐縮至極。だからわたしは富二も可奈子も好きなんだとその理由が
わかりました。
わたしの川柳は人の真似をすることから始まっているので、○○さんっぽい句というのがほとんどだと自分
では思うんです。でもその中にもわたしっぽさが少なからずあって、それがわたしの固有性と言っていただけ
るのならこんなうれしいことはありません。

飯島さんの川柳プロレス中継。ツッコミどころ満載。いつも冷静沈着な飯島さんのおもしろい一面がかいま
みえ、ニタニタしながら読ませていただきました。ベタ、言葉遊び、破礼句、悪意、社会性、コトバ化と
オールマイティ・・・飽き性なだけなんですけどね。あっちも楽しそう、こっちも好きっていう、飽き性っていう
より、浮気性か。
「みんながマジメに走るので、私、フマジメを独占させていただきます」のくだりは最高。ほんま、まさに
そんな感じです。そして胸のすく川柳、そう言われると前意識でそういうのを狙ってる気もします。

こそばゆいです。と同時に見透かされているというのはこわくもあり、作句してるとこれらの言葉がチラチラ
こっちを見ながら行ったり来たり覗きこんだりするんですよね。ま、たまに睨み返したりするんですけどね。

木馬さん、柊馬さん、飯島さん、ありがとうございました。



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欝金記③ 

2015/11/17
Tue. 10:21

   小袖抱かな 彼岸花抱かな
   歯痒い蟹はてっとうてつび透明な
   百体の橋の散り際に逢わな
   脊椎がにおう 呪縛にさきがけて
   飼われて毬の ねむり深々佇ちつくす
   無数に麦 胎(うみ)のかわゆくないひととき

一見してわかる可奈子の句の特徴は、破調であること、上句のあとの一字空けの句が多いこと。
むしろ、破調や一字空けが可奈子にとっての「定型」なのではと思ってしまうほどである。実は可奈子は
その後短歌へ転向するのですが、なんとなくそれも分かる気がします。
一字空いていることにより、読み手はまず与えられた情報をとりあえず理解しようと息継ぎをします。
普通ならそこから場面が一転したり、いわゆる川柳的な飛躍があったりする。でも可奈子の場合、息つぎ
をしたあとに続くのはさらなる孤独の、狂気の深淵なのだ。酸素が足りない・・・。
わたしは可奈子の破調にまったく不快なものを感じない。それどころか一句の中のどの言葉も他の言葉に
置き換えられることは許されない気さえするのだ。可奈子の想いを燃やし尽くした時、はじめて存在を
あらわす髄のようなもので、その髄を吸い尽くしたいと思うのだが、とうていわたしは指をくわえて眺めて
いるだけなんである。可奈子の句に惹かれながらも読み解くことができない。もどかしくてたまらない。だから
ひとり彼岸花を抱く可奈子を、てっとうてつびなどと堅苦しい言葉をあえて使う可奈子を、百本ではなく百体
とした可奈子を、胎児がかわいくないなどと不道徳なことを言う可奈子を、、、、すみません、なんかつい。
感化されやすいタチなんです。可奈子の情念がわたしにまみれ、文章までどろどろになってます。
そういう可奈子をほおっておくことができないのです。(これは偏愛?変愛?)
ただ、これらを川柳と知らずに読んだとしたら、きっと川柳とは思わなかったでしょうね。



   弱肉のおぼえ魚の目まばたかぬ
   抱かれて子は水銀の冷え一塊
   覚めて寝て鱗にそだつ流民の紋
   つぎわけるコップの悲鳴 父が先
   ぬめる碗か あらぬいのちか夜を転がる
   裸者のけむり低かれ 不知火よ低かれ

これは「水俣図」という連作の一部である。水俣病は1950年代、日本の化学工業会社が海に流した
廃液により引き起こされた公害病である。魚介類を摂食することによって原因物質であるメチル水銀が
人間の体内に吸収され言語、運動、ほかさまざまな障害が起こる中毒性中枢神経疾患である。
企業、国にとって被害者は一介の民間人にすぎず、長年見過ごされ、原因が明るみになっても
責任逃れをしようとした。もの言えぬ魚はまばたきをせぬその目で何を見たのか、魚の目はそのまま弱者で
ある被害者の目と重なってじっと堪えつづけているように感じる。メチル水銀は母から胎児へ移行しやすい
という。生まれたわが子が水銀に侵されていると知った母親は一体誰を責めたのだろうか。
社会性川柳というのはむつかしい。川柳に思想を持ち込むことに拒否反応をおこす読者がいるからだ。でも
感情的にならず、その事象と一定の距離を保つことができたなら、その問題を回避できるとも思っている。
可奈子の句はストレートな訴えではなく、静かな怒り、深い悲しみ、癒えることのない苦しみが美しく(美しすぎず)
切実に表現されている。だからもし当事者である被害者がこの句を読んだとしても、よくぞ詠んでくださったと
涙を浮かべるのではないかなあと思うのです。今もって水俣病に苦しめられている方たちがいることを忘れては
ならないですが、これらの句を読んで、現在の日本が抱える原発問題を想像したのはおそらくわたしだけでは
ないはず。


KON-TIKI 5号(発行人松本仁 編集人石田柊馬)を柊馬さんからいただきました。
2001年発行の柳誌で、短歌に転向した可奈子が招待客として川柳20句を寄稿している。可奈子は63歳
ですね。

   ボロ儲に小指が刻まれて甘し
   スヌーピーの双児とキャッチボールせん
   レコードの針をもどして血を濃くす
   執刀ハオトウト菊花展上ル
   アレチノギクの真っ逆さまはきもちがいい

うーむ、なんだかずいぶんさっぱりとされましたね。何十年と生きてきた中で、その時々で自分を見つめ、
短歌を詠むことで内面を消化した結果でしょうか、時代というものもあるでしょうか。なにより川柳らしい
軽みが加わっています。とはいえ、やはり言葉の使い方には隙がなく、一見穏やかに見える句のなかに
可奈子の血がひっそりと流れているのを感じ、またまた胸がドキュンとするのでした。
可奈子はこの3年後、帰らぬ人となりました。

手許の欝金記には、可奈子直筆の1句がしたためられています。

   
   細目さらに細目 三月の空ゆく鯨    可奈子


(おわり)


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ふらすこてん11月句会 

2015/11/09
Mon. 14:23

毎月京都に行っているのに、家を出る時間が憶えられない。
当日、朝起きて、逆算して、このくらいに出たらいいねんな、って考えるのが句会に行く日のわたしの
ルーティンワークになっている。五郎丸があのへんなポーズをするように、イチローが朝起きてバットを
構えるまでの一連の動きがあるように、この作業がわたしにとって、いざ、句会へという精神統一に
なっているのだ。
というのは真っ赤な嘘である。

先日の句会はこの逆算を間違えたみたいで、投句時間ぎりぎりセーフで到着。
もっとぎりぎりセーフで到着したかにちゃん。「迷った」って言うから、どっか出先から来たんかと思えば
自宅(しかも徒歩で来れるとこ)から来たと言う。だいじょうぶか。かにちゃん。病院行った方がいいん
じゃないかと言おうと思ったが、かわいそうなくらいテンパっている彼女を見て何も言えなくなった。
ね、だからルーティンワークさえしっかりしておけば、わたしのようにぎりぎりセーフに着いても焦ることは
ないんだよ、と言おうと思ったが、暑くてセーターまで脱いでいる姿を見てその言葉もぐっと飲み込む
やさしさと余裕。そして心の中でそっとBGMをかけてあげた。今のきみは ピカピカに光って~♪(汗で)

あ、句会?
なんか前回偉そうなこと書いたからめっちゃ書きにくい。しかも今回選からだだ漏れやったし。ということで
今回は鼻を低くして書きたいと思います。

8点  早う逝きなはったおでんに辛子塗る  くんじろう
7点  フリスビーのうまい塗装工見習い   かがり
6点  漆喰を塗って時間を遠ざける     正昭

わたしは
さあ父よ頬にピンクを塗ってあげます    柊馬

に一番ビビビときました。

この父は生きているのか死んでいるのかわからないけど、どちらにしても喜劇の一場面としての図が
ありありと浮かびます。生きている父だと、自分が誰かさえも分からなくなり、道化として生きていくしか
なくなった父の悲哀(他人が感じる)と子の寂しさと諦めと安堵が入り混じったようなものが感じられるし、
死化粧だとすると、この父は天寿をまっとうしたのだなあという感慨がちゃんと伝わってきます。
そして「塗りましょう」じゃなくてわざわざ字余りにしてまで「塗ってあげます」としてるとこにも作者の
こだわりを感じました。恩着せがましいやっちゃなあ、と思わせる狙いがあるんですよね。

わたしの句。
かなしいねびっくり箱はビョーキだね
蓋するとだいぶ箱っぽく笑う
たずさえよ生きる資格のない眉を
剃髪のあとからあとから塗る駝鳥


3次会はおっさん4人とカラオケ。茂俊さん、安心してください。セクハラはありませんでした。
北田辺で借金返します(¥稲作)。



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欝金記② 

2015/11/04
Wed. 18:57

   ひとりゲリラの鼻血を天に向けながす
   死期未満のてぶくろは剃り落す
   全き齟齬 てのひら二まい生まれきぬ
   モズ盛る すなわち卑怯者の天
   凸面被りさくら吹雪のさくら憑き
   らせん階のてっぺんまでは病んでみよ
   風百夜 透くまで囃す飢餓装束
   まりあが血か たてがみしろき逆相は

やさしくない。定型をものともせず、やさしくない句語が並んでいる。それを読んだわたしの
一部分が痛む。心臓の裏側の朝なのに暗黒で、照らされたくもないのに月光が射してくる。
ああ、可奈子はわたしの痛点を知っているのだな、と思う。
可奈子にとってこの世に生をうけたこと自体が傷だったのか。その広がっていく傷口を隠し
ながら生きていくことの恰好悪さを感じていたのか。生とは戦うことなのか。さまざまな葛藤が
可奈子の情念となって句にさらされることで、一層可奈子を可奈子たらしめていく。
可奈子の句は鋭い刃となってわたしを刺しにくる。でもその刃先はすでに可奈子の血でしとどに
濡れていて、可奈子の血とわたしの血が混ざり、あう。



   莫迦な花ゆえ さばさば死ねる午後の風
   鳥葬やまず 今朝もあしたも裂かれるパン
   地に水母 ほほえみは死にほかならぬ
   刹那いっぴき 柳絮のごとく地の果へ
   春を承知の 賽の1なるその死なる
   はやり阿国 はやり神楽のうかうか死す
   ほろび絵をつづるは木馬らの裔ぞ
   昼いちめんの笛 致命ゆるぎなし

では、可奈子にとって「死」とはどんなものだったのか。前掲の「生」の句に比べると明るい死が
並ぶ。死ぬ前から「さばさば」と死を受け入れている。能動的で苦しい生に対して受動的であっけない
死とも言える。そこには暴力性も残虐性もない。かといって「ほほえみ」ながら死ぬことへの憧憬も
春に死ぬかもしれないことへの恐怖も感じない。むしろ神がかりの踊りや舞に興じて「うかうか死」
んでもさらりと受け流す余裕さえある。にんげん死ぬ時は死ぬ。ってことでしょうか。あたりまえだけど。
鳥葬→誰かが死ぬ→裂かれるパン→裂かれる肉体→あした→自分が死ぬ→裂かれるパン→・・・の
妄想ループから抜け出せず、耳をつんざく「昼いちめんの笛」に蹂躙され死ぬのも悪くない。

(あといっかい、つづく)





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北田辺10月句会 

2015/11/01
Sun. 16:24

9月句会報より。
赤門の裸三島のやぶれ傘     亜蘭
一部分犬の裸に触れている    紫乙
シーソーはまだシーソーでいてくれる  律子
理由を知れば崩れてしまうでしょう   とまと
くすの木が動きました悲しくなりました ちかる
君たちがそう呼ぶのなら涎です     とまと


10月31日土曜日、世の中がハロウィンで大騒ぎしてようが雨が降ろうが槍が降ろうが北田辺です。
そこにくんちゃんがいる限り。いや、ていうかえげつない句にドロドロまみれているという意味では、
毎月ハロウィンとも言える。
今回は連句の岡本遊凪さんが初参加。連句で鍛錬されているんでしょうね。席題も軽く(お見受けするに)
こなしてはったようです。
くんちゃんに詩を朗読してもらいました。2回戦でアカンかったやつ(言い方)と決勝に行けたら読むつもり
やった幻のやつと。朗読のときはぴりっときりっと空気が締まります。さすがです。あんなに酔うてんのに。

今回は席題のあと、封筒回し1回、雑詠回し2回、封筒回し1回で打ち止め。いや、ちゃう、最後の選者
きゅうちゃんが「こんな句では取られへん」言うもんやから、おんなじ題で仕切り直ししたんでした。
ぶーぶー言いながら作りましたよ。今日になって考えたら、酔っぱらいが作った句に酔っぱらいがダメ出し
してるわけですから、なんともまあ可笑しな話ではありますが、その場ではそれでオッケーなんだから
オッケーなんでしょう。


わたしの句。
膝下ストッキングに竹槍を隠す
放送禁止用語集はふわふわのティッシュ
またしても九十九人目で疼く
鶏頭と猫じゃらしのリバーシブル
夕闇に戻る途中の木の実ナナ
肉詰めの三日三晩を歌にする
パタリロとカリメロとジョージの三人選
2個買うと1個は緑の女の子
緑色の太ももだからカビキラー
北田辺駅は樹液か唾液か
6頭身の大腿骨をゆずられる
老人の首と絵の具はごちゃごちゃに
暗くなる前に空手チョップよねー
国境を越えてらっきょう食べに行く
おしゃぶりを振り回せ約束の地で
消毒液が漏れてもオッケーな夜だから
少年もポップコーンもいっせーので裸
ざっくりと言えば子宮は地球なり
昨晩の豆はまり子と申します


帰りの電車、難波あたりからどっと色んな人が乗ってきました。今朝、新聞を見るとどうやらミナミで
仮装行列(?)があったみたい。ホームに溢れ出すゾンビ系、姫系、囚人系、ポリス系・・・ぞわぞわす。





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2015-11