欝金記② 

2015/11/04
Wed. 18:57

   ひとりゲリラの鼻血を天に向けながす
   死期未満のてぶくろは剃り落す
   全き齟齬 てのひら二まい生まれきぬ
   モズ盛る すなわち卑怯者の天
   凸面被りさくら吹雪のさくら憑き
   らせん階のてっぺんまでは病んでみよ
   風百夜 透くまで囃す飢餓装束
   まりあが血か たてがみしろき逆相は

やさしくない。定型をものともせず、やさしくない句語が並んでいる。それを読んだわたしの
一部分が痛む。心臓の裏側の朝なのに暗黒で、照らされたくもないのに月光が射してくる。
ああ、可奈子はわたしの痛点を知っているのだな、と思う。
可奈子にとってこの世に生をうけたこと自体が傷だったのか。その広がっていく傷口を隠し
ながら生きていくことの恰好悪さを感じていたのか。生とは戦うことなのか。さまざまな葛藤が
可奈子の情念となって句にさらされることで、一層可奈子を可奈子たらしめていく。
可奈子の句は鋭い刃となってわたしを刺しにくる。でもその刃先はすでに可奈子の血でしとどに
濡れていて、可奈子の血とわたしの血が混ざり、あう。



   莫迦な花ゆえ さばさば死ねる午後の風
   鳥葬やまず 今朝もあしたも裂かれるパン
   地に水母 ほほえみは死にほかならぬ
   刹那いっぴき 柳絮のごとく地の果へ
   春を承知の 賽の1なるその死なる
   はやり阿国 はやり神楽のうかうか死す
   ほろび絵をつづるは木馬らの裔ぞ
   昼いちめんの笛 致命ゆるぎなし

では、可奈子にとって「死」とはどんなものだったのか。前掲の「生」の句に比べると明るい死が
並ぶ。死ぬ前から「さばさば」と死を受け入れている。能動的で苦しい生に対して受動的であっけない
死とも言える。そこには暴力性も残虐性もない。かといって「ほほえみ」ながら死ぬことへの憧憬も
春に死ぬかもしれないことへの恐怖も感じない。むしろ神がかりの踊りや舞に興じて「うかうか死」
んでもさらりと受け流す余裕さえある。にんげん死ぬ時は死ぬ。ってことでしょうか。あたりまえだけど。
鳥葬→誰かが死ぬ→裂かれるパン→裂かれる肉体→あした→自分が死ぬ→裂かれるパン→・・・の
妄想ループから抜け出せず、耳をつんざく「昼いちめんの笛」に蹂躙され死ぬのも悪くない。

(あといっかい、つづく)





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