川柳フリマで虚構をかんがえる 

2016/05/27
Fri. 22:13

昨年に比べ、出店数も増え、賑やかな今年の川柳フリマでした。

石田柊馬さんによる「句集でたどる現代川柳の歩み」。
柊馬さんのお話は真剣に聞いてもいつもほとんど理解できないので今日こそはと思ったのですが、話し始めてものの
数分でここはどこ、私もどこ状態。分かったところといえば、現代川柳は中村富二らの時代、リアリズムから離れた
ところで、フィクションやイメージした意識をどのように表現するか、という書き方が生まれたのが始まりで、
私性川柳というのはただ表現比べであって、ついにその表現も尽き、飽和状態に達したところで衰退して
いったということ。あと最後に言われた川柳はプロ野球ではなく草野球、という言葉が心に残りました。

山田消児さんと小池さんの対談「短歌の虚構、川柳の虚構」。
短歌で問題になった虚構の句は、戦争に行ってないのに映像化されたものを見て作ったり、男性が自分のことを
「あたし」と言ったり、父は健在なのに亡くなったことにしてたりするようなもの。
ただ、これらのほとんどが、○○短歌賞などの受賞の際に問題になったという経緯があり、結局これなんだよね。
短歌の世界だって賞でなければご自由にどうぞ、なんだと思う。

作るのはコッチの勝手だし、騙されたのはソッチの勝手だし、そんな短歌賞に応募したのはコッチの勝手だし、
(殴り込みの気持ちも若干はあったのかもしれないし)、それを理由に落とすのはアッチの勝手なのだ。
きっと作者側の気持ちを代弁するならそんなとこだろうなと思う。
でもこうやって問題作が生まれ、外野が喧嘩することで短歌賞における虚構の考え方もきっと変わっていくんだろうな。

だから、川柳人が、川柳は虚構に寛容だよと優越感に浸っているようではまだまだですね。
と思う自分がいることにちょっとびっくりする。

小池さんの揚げた川柳の虚構は、わたしから見たら暗喩と言った方がしっくりくる表現のものが多く、短歌で問題になった
虚構とはちょっと違う気がしました。わたしの中では新子さんの有夫恋が虚構の帝王(なんじゃそら)なんだけどなあ、
とぼそぼそ思うのであった。

それにしても小池さんのご尽力には深謝、脱帽するばかりです。(虚構ではありません)





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うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ 

2016/05/13
Fri. 16:16

(転校生は蟻まみれ、ふたたび)
何回か前の記事に書いたんだけど、#うさぎ です。うさぎにハマってます。
うさぎといえば、わたしの中では学校のうさぎです。うさぎ小屋の。飼ったことないですし。
だからわたしにとってうさぎはペットでもなく野良でもなく、かといって野性でもなく、ましてや食用でもなかったわけです。
だのにです。

    これからは兎を食べて生きてゆく   小池正博


なんてこと!食べちまう!
あんないたいけなやつらの急所にグサッとナイフを突き刺し(知らんけど)、皮をはぎ、鶏でいうところのむね肉やら
もも肉やらに分け(知らんけど)、食べちゃうゾ、てなわけです。しかもこれから死ぬまで兎だけを食べるんだから、
何羽も殺しては食べ殺しては食べるを繰り返すだなんて。

うわぁ、兎かあ~。ここからなんですね、わたしがうさぎにハマったの。
じゃあ、どうしてわたしはここまでこの兎に心を奪われたのか考えました。そこで気づいたのです。
食用にされる兎がそんなにかわいそうじゃないと思っている自分に。
なんやろう、これは。

「自殺うさぎの本」という絵本のような漫画のような本があります。ここに出てくるうさぎがとにかく大がかりで痛そうな
自殺を繰り返すのですが、なぜか笑えるのです。(お暇な方は自殺うさぎで画像検索してみてね)
犬や猫は少しは自分の頭で考える生き物でどことなく感情もありそうだと思っているので、苦しむんじゃないかとか
叫ぶんじゃないかとか、悲しそうな目で見つめてくるんじゃないかとか、雑念が生じてしまいます。
その点うさぎは馬鹿っぽい。なんも感じてないっぽいからわたしの心も痛まないから絵に(句に)なるのだ。
だから殺していいというわけではなく。妄想して愉しむのにうってつけの生き物だったのです。(そのビジュアルもおおいに
寄与するところである)

「兎を食べて」は諦めの表れなのに、「生きてゆく」という勇気でしめくくる。その決意はなんなんだ?ってなるし、
逞しいんだか軟弱なんだか野蛮なんだか繊細なんだかどっちなんだ?ってなる。

この句の兎にすっかりヤラれてしまったわたし。
以降うさぎがぴょんぴょん使ってくれ~と言ってくるので使うのだが、句に使うときは、この時に得た感覚や認識を
再利用してるというか、小池さんの兎に便乗してる感じなのですね。

その時に得た感覚や認識というのは、うさぎは傷つかないということ、学校のうさぎは教材用なんだということ。



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ふらすこてん5月句会 

2016/05/09
Mon. 11:09

三人選
9点  ひっぱたく妊娠線を束にして  きゅういち
8点  義母笑う小っちゃい蜘蛛を吐きながら きゅういち
8点  太鼓も叩く片手間に母もやる  祥文
7点  母はもう見渡す限り水田に   全郎
5点  お袋を韻踏みながら裏返す   彰子
5点  火点し頃の京都タワーは母である   泰子

なんと。
トップ2はきゅうちゃんでしたね。最初読んだとき、わたしかって思いました。わたしが作りそうといういうことです。
妊娠線とかひっぱたくとか。案の定、句会後の飲み会で陽子さんの句と思ったと言われました。
ねっ。て。なんか複雑な気持ちです。そういうイメージが定着してるんだなあと。
で、妊娠線の方はいただかなかったんですがね。というのはつまり、これだったら自分でも作れそうだなあと思った
のと、自分が作りそうなだけに、下心が見えるというかね。いや、下心なんかないのかもしれませんけどね。
わたしの場合、下心大アリなんで、そう思うのかもしれません。(蜘蛛の方は1点入れましたよ)

まあ今回の選は妥当なとこだなあという気がします。母という題だからでしょうか。母、義母に対する
イメージにおそらくそんな開きがなく、共感しやすいのだと思います。

わたしは、いいなと思った句がたくさんあった中、これは「母」が動かないなと思った句を選びました。

みそ汁の実をたずねては母捩れ   かがり
 介護ってこういうことの連続なのだろうなと。
 うれしいのか気に入らないのかわからないけど、母は捩れてくしゃくしゃになっていく。

内緒だが僕はまだ母の胸で泣く    泰子
 こんなことを胸を張って言える男の人が好きだ。
 残念ながら男の人が詠んだのではなかったけど。

亡き義母は今サバンナを越えている  やよい
 母、義母ともに強し。そらもう軽々とサバンナだって駆け抜けていく。




番号をふったところがけたたましい  陽子
正常なれんげ畑を血祭りに
獺祭と尿瓶と雨雲レーダーと
古池に囲まれている蛙かな
出目金を見ている母のVネック
中毒の母につばめの巣をつくる

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2016-05