北田辺6月句会 

2016/06/28
Tue. 23:57

先月号より
2円切手をしずしずと貼っておく   もも花
ケンケンは鰯の皮を剥ぎながら    律子
百グラム処女懐胎のカキツバタ    一筒
夏至まではブルースなんよ冷奴    ろっぱ
ステテコの角を豆腐に打ちつける   一筒
吾子はいま母のてのひらからのびる  ろっぱ


3か月ぶりの北田辺。おーー!すき焼きだ!うちではめったにしないのでうれしい。くんちゃんの新生姜を
使ったお料理はどれもおいしい。わたしも真似て作るんだけど、なぜか火を噴くほどに辛い。どうやら火を
通す時間に問題がありそうで、近々再チャレンジするつもり。
この日ろっぱさんと話をしたせいか、今日ろっぱさんが夢に現れる。ふたりで歩いていると変な男の人に
追いかけられ、襲われそうになった。、いつもの夢だったらここで声にならない声で、た~すけて~と叫んで
目覚めるんだけど、さすがろっぱさんがいると違う。「ちょと、アンタなあ。」ってその変な男の人に
立ち向かって行くのだ。やっぱり夢の中でも頼りになるろっぱさんなのであった。



冷酒ゆさぶってゆさぶって海鳴りす   陽子
なみなみと冷酒うみがめ三番地
腋がないすーすーすると思ったら
リストカットしたらムヒ塗ってあげる
殺し屋の紡いだ糸を買い占める
京橋の次は十三殴ります
にんにくにしては長すぎる上着
ガンダムに背広を着せて二歩下がる

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気づいた、ある日。 

2016/06/20
Mon. 13:47

穂村弘のエッセイだったかにょっ記モノだったかに、風邪のひき始めに葛根湯を飲めば治るというので
その「ひき始め」にものすごく囚われ一分でも一秒でも早く飲まねば!という気持ちになってしまう
(で、一刻も早く飲みに行こうとして小指をぶつけたというオチだったと思う)、という話があって、その時、
あるある、と思ったのだけど、具体的に何かを思い出すことができないでいました。

ある日、牛すじを買って来てアクを抜くためにゆがいていている時、あ、これだ!と気づいたのです。
わたしは牛すじを買って帰る時、必ず帰ったらもう間髪入れずゆがきたいのです。買ってきてしばらく冷蔵庫に
入れておく間に、もし冷凍保存するにしても完全に冷凍される間に、じわじわとホルモン(=ほる(捨てる)もん)に
近づいていくような気がするのです。だから牛すじを買う時は、帰ってすぐに他の用事がないこと、ゆがく元気が
残っていることを自問自答してから買うようにしています。そしてまず帰ったらすぐに大きな鍋にお湯をわかし、
帰宅後10分後にはゆがき始めアクをすくっています。たぶんこの時のわたしはちょっと殺気立ってるだろうなと
思います。
ちなみに他の食材や調味料は、賞味期限過ぎても余裕で食べれます。
穂村弘の葛根湯とわたしの牛すじと気づいたときのうれしさと。

気づくと言えば、一日置きくらいに使っていた洗面所のハンドタオルがある日洗濯ものをたたんでいる時に、
えっ!?というくらい端がほつれてボロボロになっていることに気づく日、ありませんか。
昨日まで同じように使って洗濯してたたんでしていたのに、一日で突然ボロボロになったはずはないのに、
ある日突然目に飛び込んでくるのです。あれ、なんなんでしょうね。

目に飛び込んでくると言えば、言葉の見間違いが時々あります。
たまにそれで川柳を作ったりすることもあるので、わざとななめ読みしちゃったりなんかしちゃったりして。
最近似てるなあと気づいた言葉。
ポテトサラダとテトラポット。ランボルギーニとボラギノール。







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ふらすこてん6月句会 

2016/06/08
Wed. 20:53

三人選「時」
9点  時計屋の時は座ったままである   喜八郎
8点  乾き切った蚊を古本は挟んだまま  ゆみ葉
7点  売名は食後30分までに      全郎
6点  茜雲時を一刷毛すくい去る     幸男
6点  急がないけどのけどにもある期限  八斗醁

時計屋の句、うまいいな~と思いました。川柳でうまいなあと言うと技術的にはねーという、どこか皮肉めいた
ところがあるのですが、この句はそれもあるんだけどうーんと唸らせるものがある。そういう句をうまいい句と
言います。(あ、わたしは、です)
時は座ったままとありますが、時計屋のご主人が座ったままの姿も想像できます。止まらない時計に囲まれて
いるのに、時は止まっているような、永遠に変わらないものを生み続けているような感じ。昭和のモノクロ映画の
ワンカットを見せられているような気分になりました。

そして、ゆみ葉さんの「古本に蚊」の句。祥文さん以外の選者さんお二人は入れてはりました。
祥文さんが定型にしようとは思わなかったのか、とよく言われるのですが、わたしもこの句については同じ意見です。
時計屋の句がうまいいとしたら、こっちはうまくないい、と言えます。祥文さんに添削をされていましたが、それに納得
できないのも分かります。作者がなにを伝えたいかということは分かってますから。
これは破調が抱えるリスクなんだと思います。破調にするなら読み手を煙にまくくらいの勢いが必要で、失速して
しまうと、読み手の方に破調にする理由を考えさせてしまう隙を与えてしまうんですよね。
逆に定型の場合は、あまりにすんなりとひっかかりどころがない句に陥らないために、いかに人との違いを出して
いくかが大切なわけで、結局どちらにしても推敲の努力が必要なのです。

わたしの句は落としどころがハッキリしすぎて鼻につくとおっしゃるゆみ葉さん。だからああはなりたくないと、あえて
下手さで勝負してるのかもしれませんね。
こんなこと書いてるけど、ゆみ葉さんのことちゃーんとリスペクトしてますから、みなさまご安心ください。




万札にパンツの線が透けている
潮干狩りセットを持って森へゆく
貝殻がかさばるコイロッカーベイビー
兄を擦ると兄嫁が詫びる
勇気をもって鼻の長さを確かめる
四つん這いです三十年前の水着です
時すでに眼孔に棲む蛇の声
少年に時は蝶なり狩られたし

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熊谷冬鼓句集『雨の日は』 

2016/06/03
Fri. 10:12

冬鼓と書いて「とうこ」サン。女性です。
日常生活を淡々とこなしながらも、ふいに気づいてしまった疑問、反発、あきらめなどをさらっと詠んでいます。




   反り返る歯ブラシ 私は悪くない
   人としてどうなんだろうと言われても
   空欄は空欄のまま皿洗う

一句目の言いっぱなし、カッコイイ!反り返った歯ブラシは強気な態度の表れと読むのが妥当でしょうが、
歯ブラシがそっくり返ってるのも、あの人を怒らせたのも、とにかく私はなんにも悪くない、とも読め、スカッとする。
そんな私を「人としてどうなんだろうと言われても・・・」ねえ。そもそもその上から目線が気に入らない。
こうなったら納得のいく答えが見つかるまで開き直ってお皿を洗い続けるしかないのだ。



   返さねば返せなくなる黒い傘

返すタイミンングって案外むつかしい。黒い傘の持ち主は男性だろうか。すぐに返さ(せ)なかった黒い傘には
時間がたつほどお互いの思いが絡みつき、いつまでたっても乾かない。だからますます返せなくなるのだ。
「かえせなくなる」という舌を噛みそうな感じもよし。



   縄張りのようにシーツが干してある
   言い訳が等間隔に挿してある

本来ならばしあわせの象徴である真っ白なシーツ。でも冬鼓さんはこれ以上他人が入り込むことのできない家族の孤立を
感じ、その見えない力を「縄張り」と表現した。プライバシー保護というこれみよがしなシーツで覆い隠された家庭の問題は
社会の問題でもある。
「等間隔の言い訳」も然り。すなわち人間のエゴである。本音を言えば「言い訳」は具体的な何かの方が絵的にはおもしろ
かったかもしれない。
言葉を選ぶ時、自分の感覚はもちろん、読み手の感覚をもっともっと信じていいと思う。



   錠剤の転がる先のわた埃
   行列を見ると屈伸してしまう

うわってなること、よくある。あるーって叫びたくなった。ただそれだけのことなんだけど。
屈伸は、、、ない。ないけど、分かる。地味ーによく分かる。



   百円の傘にひゃくえんぶんの骨
   水平かどうかを計る洗面所

「百円の傘にひゃくえんぶんの骨」のあたりまえも、「水平かどうかを計る洗面台」のあたりまえじゃないことも、
それに気づくことが喜びなのである。それは自分が見つけた時もだし、他人の句で気づいた時もなぜか同じくらいの
喜びなのである。



   それならと延長コード渡される
   矢印が否応なしにやってくる
   勧められた椅子に浅めに掛けている

延長コードは延長コードとして渡されたのか、他の使用目的で渡されたのか、作中主体の心の動揺が伝わって
くる。とりあえず一発芸、とかしてる場合ではなさそうである。
矢印を追いかけながら矢印に追いかけられている日々のくりかえし。「否応なし」がどんどん背中に突き刺さる。
でも自分一人ではなんにもできなくて、ぼーっとしてるからしょうがないとあきらめるんだけど、いつでも逃げだせる
ように浅めに腰掛けるくらいの危機感と冷静さはちゃんと持っている。この句が生き生きして見えるのは、リアリティが
読後すかさず追いかけてくるからだと思う。



   空き缶が蹴りたい位置に立ててある
   やがてそれはトンボに変わる貝拾う
   真四角に切り取ってある通せんぼ
   綾取りを渡し損ねた指の節
   トーストを銜えたままで他人の死



たぶん、仕事をしながら家事をしながら歩きながら運転しながら、冬鼓さんは川柳を作ろうとしているんだろうなあと
思いました。わざわざ考えなくてもいいことをわざわざ考えることは一見無駄なようですが、無駄だからこそ20年も
続けてられるんだなあと冬鼓さんの句集を読んで思ったのでした。


  

   雨の日の片足立ちのふくらはぎ   熊谷冬鼓







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2016-06