ふらすこてん一月句会 

2015/01/11
Sun. 18:34

今年の初句会はふらすこてん。行ってきました。

50句の中から5句選ぶ。
選んだからには、当然それを選んだ理由と選ばなかった理由というのがあるわけなのだが、
それを聞かれた時の答えが毎度毎度ありきたりのものになってしまうのが我ながら情けない。

今回の最高得点句。


     花はやめたとバケツの中でいう   博造


句会では(怖くて)発言しなかったが、実のところわたしはまったくもって引っかからなかった句なのである。
由紀子さんは絶賛。そのもやもやを飲み会の席でぶちまける。お酒を飲むと俄然強気になるわたしなのである。

そりゃ言うでしょ。花やもん。あたりまえやん。しかもバケツの中って。ふつうやし。
(目の前の箸置きをつかんで)箸置きだって「箸置きはやめた」って言ってるし、わたしだって
「人間はやめた」って言うよ。

と言えば、間髪入れず「いやいやいや。そういうことちゃうやん。」ときゅうちゃんとぜんちゃんが声を揃えて言う。

じゃあ「そういうこと」が「どういうこと」なのか、はっきりわかるように説明してくれ。


そうなのだ。ある人にとってはおもしろいと思う「あたりまえ」でもわたしにとってはつまらない「あたりまえ」。
しょうがないよね、感じ方なんて人それぞれやから。

と平行線のまま終わってはあまりに進歩がないではないか。

と思い、歩み寄る・・・・

「バケツの中でいう」ということは、美しい花にふさわしくクリスタルの花瓶かなんかに活けられてたら言わないのか、
あるいは切り花なんかにされず、土に根っこを張って植物としての本来の姿で生きたかったのか。
単純に考えたら前者なんだろうけど、わたしは後者のほうが花に感情移入しやすい。
でもそうするとバケツであることの力は弱くなる。
じゃあ、花屋の店先のバケツの中で誇らしげにシャンと胸を張っている花たち(←ぜんちゃんイメージ)が
実は花としての誇りを傷つけられ、がんばることに疲れ、花はやめたとぼそっとつぶやけば、それはそれで
せつなく、自分の姿を重ねられなくもない。
そういうことなんかな?ろっぱさんには「陽子ちゃんの年齢ではまだ分からへん」って言われた。
人生経験か。確かに小説でも映画でも、読んだり観たりした時の自分の状況や気持ちの状態で受け取り方が
まったく違ってびっくりすることがある。この句もそういうものなのかもしれないな。



ふぅ。歩み寄り疲れ。(博造さん、ごめんなさい)




わたしお気に入りの一句。


     すぐ溶ける花とゆっくり溶ける花    柊馬


巧すぎて取らなかったという意見もあったが、巧くておおいに結構ではないか。とわたしは思うのである。
巧いなあとうならせてくれる句に出会うとうれしくなる。(大先輩に向かって恐れ多いね)


わたしの中で「溶ける」は腐っていくイメージ。花を水に挿しておいたら、茎の部分がどろどろと腐っていく花と
そうでない花がある。腐りやすい花は好きではないが、溶けると表現されると脳内では「蕩(とろ)ける」に変換され、
あれ、腐るってもしかして官能的なことなのかもと思ったりもする。

さらにこの句のいいなあと思うところは、すぐ溶ける花とゆっくり溶ける花があってどっちがどうだと何も言っていない
ところ。そこにやさしさが感じられるのだ。



では、最後にわたしの句。


  弁天の横に不純な牛乳屋
  ドアノブは生贄の手で磨きます
  美少年300円の黒字なり
  清らかに錯乱 花もアーメンも



最初から簡潔に書く気はなかったんだけど、書き終わって改めて読み返すと自分でもびっくりするほどの
ぐだぐだぶりに若干引いてます。これでいいのか?    
いや、これでいいのだ。(バカボンのパパ降臨)




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