角田古錐句集『北の変奏曲』 

2015/03/02
Mon. 10:38

   神様も片手は少し汚れてる
   牛丼は負けた戦の味がする
   右の手はホントは他人だと思う


これらはあくまでも作者の個人的な意見。少なくともわたしはそんな風に考えたことはなかった。
それなのに、これらの句を読んで「そんなものかもしれない」と思うのです。



   海を見て海だと妻が言っている
   年越して去年と同じ犬に逢う
   仏壇の裏をしばらく見ていない


なんなのでしょう。この自然体。誰もが経験してるはずの日常。
砂時計の砂が落ちていくみたいに一瞬で流れ、あっという間に見えなくなってしまうコトたち。
その流される一瞬を掴み取っただけのこと。でもその「だけ」がなかなかできることではないんだなあ。
些細なことがしずかに膨らみ、些細なことに収まりきらなくなる感覚。



   通勤電車で金太郎飴になってゆく
   寝違えた首粛々と街をゆく
   しみじみとポルノ映画で聴くショパン
   日が暮れて迷子だったんだと気付く


先ほど掴み取った一瞬を少しだけ見方を変えるだけでこういう川柳的川柳になるんだ。
共通認識としての事実に主観がはいることによって、作者にとっての真実があらわれる。
生きるということ、生きていくということのやるせなさに途方に暮れる作者があらわれる。
川柳とは事実に隠された真実をひとつずつ明らかにしていく文芸と言えるのかもしれません。



   指先の汚れに気づくご焼香
   バラ色の封書で届く他人の死
   葬儀屋が春の挨拶して通る
   寒い寒いと転がってゆくお葬式


伊丹十三監督の映画『お葬式』みたい、と思う。
お葬式というおごそかで重々しい儀式を巧みにおちょくっている。
こういったことを面白がれるのも川柳人にとって大事な才能なのだ。



   露っぽい女と昆虫記を覗く
   自然薯のような女とレレレのレ
   身内だと言い張るモジリアニの女


古錐さんの(?)女はふしぎだ。湿っぽかったりねばねばだったりする。
物憂げな表情で身内だと言い張ったりもする。
昆虫記を一緒に眺めたり、レレレのレったりどこか妖しく怪しい時間を共有したくなるのです。



   納豆とモーツァルトを掻き混ぜる
   すりこぎは凶器じゃないと言い聞かす
   いつ何処で死ぬのか世界地図で見る
   行き止まりなのにテクテクテクテクテク
   ちちははが挟まっている非常口



古錐さんとは一度、青森でお会いしました。72歳で背筋がピンとしていて、笑顔の素敵なおじさまだなあ
という印象が残っています。
あとがきに『信条という程でもないのですが、日常を通じて私は常に川柳を楽しもうと思っています。
伝統句も革新の句もそれぞれの良さがある訳で、また難解な句もそれを読み解く楽しさがあり、句会や
柳誌で色々な川柳に出会うことは大いなる楽しみとなっています』とあります。
そのような川柳に対する謙虚で柔軟な向き合い方が句にしなやかさをあたえているのだなあと思いました。


   絶叫をするには人が多すぎる      角田古錐










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