うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ 

2016/05/13
Fri. 16:16

(転校生は蟻まみれ、ふたたび)
何回か前の記事に書いたんだけど、#うさぎ です。うさぎにハマってます。
うさぎといえば、わたしの中では学校のうさぎです。うさぎ小屋の。飼ったことないですし。
だからわたしにとってうさぎはペットでもなく野良でもなく、かといって野性でもなく、ましてや食用でもなかったわけです。
だのにです。

    これからは兎を食べて生きてゆく   小池正博


なんてこと!食べちまう!
あんないたいけなやつらの急所にグサッとナイフを突き刺し(知らんけど)、皮をはぎ、鶏でいうところのむね肉やら
もも肉やらに分け(知らんけど)、食べちゃうゾ、てなわけです。しかもこれから死ぬまで兎だけを食べるんだから、
何羽も殺しては食べ殺しては食べるを繰り返すだなんて。

うわぁ、兎かあ~。ここからなんですね、わたしがうさぎにハマったの。
じゃあ、どうしてわたしはここまでこの兎に心を奪われたのか考えました。そこで気づいたのです。
食用にされる兎がそんなにかわいそうじゃないと思っている自分に。
なんやろう、これは。

「自殺うさぎの本」という絵本のような漫画のような本があります。ここに出てくるうさぎがとにかく大がかりで痛そうな
自殺を繰り返すのですが、なぜか笑えるのです。(お暇な方は自殺うさぎで画像検索してみてね)
犬や猫は少しは自分の頭で考える生き物でどことなく感情もありそうだと思っているので、苦しむんじゃないかとか
叫ぶんじゃないかとか、悲しそうな目で見つめてくるんじゃないかとか、雑念が生じてしまいます。
その点うさぎは馬鹿っぽい。なんも感じてないっぽいからわたしの心も痛まないから絵に(句に)なるのだ。
だから殺していいというわけではなく。妄想して愉しむのにうってつけの生き物だったのです。(そのビジュアルもおおいに
寄与するところである)

「兎を食べて」は諦めの表れなのに、「生きてゆく」という勇気でしめくくる。その決意はなんなんだ?ってなるし、
逞しいんだか軟弱なんだか野蛮なんだか繊細なんだかどっちなんだ?ってなる。

この句の兎にすっかりヤラれてしまったわたし。
以降うさぎがぴょんぴょん使ってくれ~と言ってくるので使うのだが、句に使うときは、この時に得た感覚や認識を
再利用してるというか、小池さんの兎に便乗してる感じなのですね。

その時に得た感覚や認識というのは、うさぎは傷つかないということ、学校のうさぎは教材用なんだということ。



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