ふらすこてん8月句会 

2016/08/08
Mon. 18:56

先月欠席したので、ひさしぶりに体感する夏の京都。
うだる。さすがに四条通を歩く人の数がいつもより少ない。
海外からの観光客などを見ていると、せっかく来ていただいたのに、こんなに暑くてほんますみません、
と思ってしまう。わたしは京都人でもないし、京都が暑いのはわたしのせいではないんだけど。


三人選「花火」
7点 縛られたままで聞いてる遠花火    やよい
6点 香辛料入りの花火を上げなさい    ゆみ葉
6点 ドンと上げたらロンドン橋落ちた   勝彦
6点 線香花火奈落に首の落ちる音     正昭
6点 バカボンのパパの鼻から出た花火   喜八郎
6点 脇腹に仕掛花火をひそませる     洋子

遠花火というのは、音は聞こえず光だけが見えている花火のことを言うのだそうです。
だからこの「聞いてる」がおかしいという意見。でも「縛られたままで聞いてる」状況はすごく好きです。
が、点は入れてません。いかんせん「縛られたままで聞いてる」のどことなくずるっとした言い回しにスッキリせず。

ということで一応擁護派としては、遠花火は見るものでないといけないというのは分かるのですが、身動きの
とれない状況で耳だけは必至に外界の見えない花火の音を捉えようとしている、あるいは追い詰められた
状況下で聞こえないものが聞こえてしまったという幻覚、ということもあるのでは、、というのは脚色しすぎでしょうか。

で、今回議論が熱くなったのが、こういうドラマ性だったのです。(別の句で、ですが)
「説明だけで物語がないから取らなかった」という意見に対し、「ドラマ性がすべてではない」という意見。
どちらの意見も分かるので、いかんともしがたくただただ聞いているだけでした。
書かれていない部分を努めて想像するのではなく、想像させられてしまう句は、ある程度の余白が残されていて、
どういう結論を導き出すかは読者に委ねられています。そういう意味ではすべてではないけどとても大事なことでは
あります。そしてその余白を埋めることができ、自分なりの結論が導き出せると、「この句、好き」と思うのは人間の
感情としては当然の流れでしょう。ただそこに「川柳として」胸を張って「いい」と言えるかどうか、なのかなという
気がしています。
だって、わたしは川柳を作っているのだし、川柳を読んでいるんだから。



寒天で固めておいた耳年増    ようこ
婚活に励む福神漬け男子
ちはやぶる人の屑さりげなく破格
麗しく花火 公開処刑され
線香花火 神には神の日刊スポーツ




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