杉野土佐一賞 

2015/01/16
Fri. 18:30

杉野土佐一賞の由紀子さんの選評に散文調の川柳が増えていることを懸念する内容が書かれている。

私が2年前に大賞をいただいた「ササキサンを軽くあやしてから眠る」のせいでもあるらしい(笑)
わたしは実はこの句のわかりやすすぎるところがずっと気に食わなかった。特選や大賞に選ばれるというのは
つまりそういうことなのであって、でも作ったのは紛れもないわたしなのだし、そんなふうに思っている句でも大賞を
いただけたことは心からうれしいのだけど、やっぱり分かりやすい句だと烙印を押されたような気がしてて、それを
由紀子さんに指摘され、要するにわたしは散文調に甘んじてたんだということに気づき妙に納得したのだった。

韻文と散文の違いは分かっても、散文調と言われたとたんに線引きがあやふやになってしまうわたしでも確かに
今回の抜かれた句を見ると(わたしが思うところの)散文調が多いなと感じるくらいだから、これはゆゆしき事態
なのかもしれない。全国でも注目度の高い土佐一賞だけに。
ただ、大会だからとか、抜けたいからとか思ってそうしたのではなく、普段からこういう散文調を作っているんじゃ
ないかなあ、みなさん。あ、わたしがそうなんで。

考えてみると、散文調でふわっと書くと、そのふわっに含まれる作者自身にもきちんと説明できないふわっとした
気持ちを読み手もまたふわっと受け取り、それが散文調であるがために前後の物語を作り上げやすく、作者が
思ってるとおり、もしくはそれ以上にふわっふわに膨らませてくれるという、なんともありがたくしくみになっている
んですよね。

この場合、作ったほうも分かってもらえたという喜びがあるし、読み手にも分かってあげられたという快感があるから
やめられない止まらないかっぱえびせんりゅうなのだ。

この関係が悪いとは思わない。これがあるから書いてるとこはおおいにあるのだし。

由紀子さんも書いているとおり韻文は難しい。せっかく日本人に生まれて川柳をやっているのだから、日本語の
和のリズムは大切にしたい。けど頭は散文調に慣れきってしまってるし、自分以外の人の心に引っかかるような
韻文なんてそうそうできるものでもない。

ということで、モチベーションを上げるべく少し不謹慎ではあるが、じゃあ今の快感よりもっとすごい絶頂感を味わう
ためにイメージトレーニングをしてみる・・・言葉のもつ未知の世界、それまでにない、読んだ人をあっと思わせる
ような新しい言葉の概念を発見・・・韻文やああ韻文や韻文や・・・できたっ・・・賞賛の嵐(←下衆の極み)

ああぁっ・・・・(絶頂感妄想体感中)

いいね、いいね。
でもそのためには「これはいい」と言ってくれる読み手が必要なので、由紀子さん、その時はよろしく。



  (注)くれぐれもよい大人のみなさんは、もっと純粋な気持ちで川柳を作ってくださいね。



普段からほとんど川柳を川柳と思わずに作句してるので(じゃあ何と思ってるのかと聞かれると困るのだが)、
今後はこのことも頭の片隅に置いて作句に励みたいと思います。


  


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