久保田紺句集『大阪のかたち』
2015/05/29
Fri. 19:27
大阪のおばちゃんは笑ったり泣いたり怒ったり忙しい。つまり、紺さんは笑ったり泣いたり怒ったり忙しい。
ということは、紺さんの句も笑ったり泣いたり怒ったり忙しいのである。
というわけで、紺さんの句を喜怒哀楽に分類してみる。(やや強引)
(喜)
いいにおいふたりで嘘をついたとき
全身がイボになるまで触ってよ
かわいいなあとずっと端っこを噛まれる
大阪のおばちゃんはタダが好きやけど、タダでは喜びません。
紺さんもタダゴトでは喜ばへんのです。
悪いことしといて喜ぶ。ちょっかい出されて喜ぶ。まさに川柳がヒョウ柄着て歩いてるようなもんですね。
かわいいなあ、紺さん。(すりすり・・カミカミ・・・)
(怒)
照らさないでくれせっかくの底を
泣いているされたことしか言わないで
火を点けたくせにあわてて消しにくる
理不尽、涙、びびり、許しません。
紺さんの句は人間の弱い部分、言われたくない部分をピシャリと突いてくる。ただ突かれた側がそれを痛いと
感じないのは、自身を客体化することで、作者が自分自身に言っているのか一般論として言っているのか、
主体を曖昧にしているせいかもしれない。それは作者と読み手の位置が同じ高さにあるということでもある。
本当のところ、怒っている句はほとんどなく、無理矢理「怒」に分類した次第。
(哀)
笑っているから忘れていないはず
スイッチが切れるだあれも切ってない
着ぐるみの中では笑わなくていい
かわいそうと言われた日からかわいそう
ふたつ揃ったらさみしいことになる
傘は乾いてくるくる回ったりもする
実は「哀」の句はとても多かった。他の方が選んでいる句をなるべくカット。
紺さんの句には、よく〈もうひとりの自分〉が登場する。姿は見えない。けれど笑っている紺さんの
すぐそばにいる。〈カナシミ〉は気づいてほしくて紺さんの周りをうろうろしているのかも。
紺さんのカナシミはわたしのカナシミであり、にんげんのカナシミなんである。
(楽)
父さんは元気で生まれ変わらない
ショッカーのおうちの前の三輪車
股間の葉っぱ頭頂部の葉っぱ
印鑑のケースの中でずりずりする
こんなとこで笑うか血ィ出てんのに
唐揚げになるにはパンツ脱がないと
眼鏡かけてから選んでいる眼鏡
紺さんはオヤジ(お父ちゃん)の話をよくする。どーしようもない(わたしが言うか?)人やけど、
そのどーしようもなさを楽しんでいる。紺さんは自分の病気でさえ他人事みたいに楽しそうに話す。
紺さんはどんな時でもふつうのことからちょっとだけへんなとこを見つけるのがとても上手だ。
だから紺さんのまわりにはへんな人が多い。
と、喜怒哀楽に分けながら、どうにもそれらに収まらない句がぎょーさんあるのです。
ということで新たにカテゴリを設けました。
それが「悪意」。実は上に揚げた句も一皮剥けば悪意なんですけどね。
(悪意)
許さないままで笑っていられます
うつくしいとこにいたはったらええわ
伏見稲荷の鳥居出てくるソーセージ
一輪車のうしろに乗せてあげましょう
前向きな蟹でとっても食べにくい
母がいるこりこりすると思ったら
家中の蓋を集めて家出する
人はけなしながら褒めるのがふつうだけど、紺さんは褒めながらけなすからね。こわいわ。笑てるし。
紺さんのほくそえんでいる姿が目に浮かぶ。
悪意の中からさらに「ずるい」を抽出。(誰か止めてくれー)
(ずるい)
どこの子やと言われたときに泣くつもり
白く塗ったらしあわせに見えるやろ
謝りに襟の小さい服を着て
泣き止めば私を置いてゆくだろう
詰め合わす開けたらきみが泣くように
3句目、大好きです。ただこのずるさは本当にずるい人にしかわからないのかもしれません。
作者の中にもおんなのズルさがあり、それを自覚していてあっさりと自己批判まで持っていく。
そうやって書かれた句の他人事ではない私性に読み手は安心感や共感を覚えるのだと思うのです。
実際はもっと振り分けたんです。たとえば「いとしさ」と「せつなさ」と「心強さ」と。もうねキリがないので
やめました。十分楽しんだし。だもんで最後にどんとまとめて。
(その他)
シャワーを浴びてちょっと汚して帰ります
捨てたのに環状線の網棚に
くださいと頼むほどではないんだな
しっぽ振るまでずっと頭をなでられる
食パンのだんだん厚くなる家族
春になるたび切る人形の前髪
目が合うとお母さんだと思われる
ぎゅっと押しつけて大阪のかたち
紺さんをぎゅっと押し付けて、なんか色んなものが飛び散ったような1冊でした。
もういやと鳴けばもういやという名前 久保田紺
ということは、紺さんの句も笑ったり泣いたり怒ったり忙しいのである。
というわけで、紺さんの句を喜怒哀楽に分類してみる。(やや強引)
(喜)
いいにおいふたりで嘘をついたとき
全身がイボになるまで触ってよ
かわいいなあとずっと端っこを噛まれる
大阪のおばちゃんはタダが好きやけど、タダでは喜びません。
紺さんもタダゴトでは喜ばへんのです。
悪いことしといて喜ぶ。ちょっかい出されて喜ぶ。まさに川柳がヒョウ柄着て歩いてるようなもんですね。
かわいいなあ、紺さん。(すりすり・・カミカミ・・・)
(怒)
照らさないでくれせっかくの底を
泣いているされたことしか言わないで
火を点けたくせにあわてて消しにくる
理不尽、涙、びびり、許しません。
紺さんの句は人間の弱い部分、言われたくない部分をピシャリと突いてくる。ただ突かれた側がそれを痛いと
感じないのは、自身を客体化することで、作者が自分自身に言っているのか一般論として言っているのか、
主体を曖昧にしているせいかもしれない。それは作者と読み手の位置が同じ高さにあるということでもある。
本当のところ、怒っている句はほとんどなく、無理矢理「怒」に分類した次第。
(哀)
笑っているから忘れていないはず
スイッチが切れるだあれも切ってない
着ぐるみの中では笑わなくていい
かわいそうと言われた日からかわいそう
ふたつ揃ったらさみしいことになる
傘は乾いてくるくる回ったりもする
実は「哀」の句はとても多かった。他の方が選んでいる句をなるべくカット。
紺さんの句には、よく〈もうひとりの自分〉が登場する。姿は見えない。けれど笑っている紺さんの
すぐそばにいる。〈カナシミ〉は気づいてほしくて紺さんの周りをうろうろしているのかも。
紺さんのカナシミはわたしのカナシミであり、にんげんのカナシミなんである。
(楽)
父さんは元気で生まれ変わらない
ショッカーのおうちの前の三輪車
股間の葉っぱ頭頂部の葉っぱ
印鑑のケースの中でずりずりする
こんなとこで笑うか血ィ出てんのに
唐揚げになるにはパンツ脱がないと
眼鏡かけてから選んでいる眼鏡
紺さんはオヤジ(お父ちゃん)の話をよくする。どーしようもない(わたしが言うか?)人やけど、
そのどーしようもなさを楽しんでいる。紺さんは自分の病気でさえ他人事みたいに楽しそうに話す。
紺さんはどんな時でもふつうのことからちょっとだけへんなとこを見つけるのがとても上手だ。
だから紺さんのまわりにはへんな人が多い。
と、喜怒哀楽に分けながら、どうにもそれらに収まらない句がぎょーさんあるのです。
ということで新たにカテゴリを設けました。
それが「悪意」。実は上に揚げた句も一皮剥けば悪意なんですけどね。
(悪意)
許さないままで笑っていられます
うつくしいとこにいたはったらええわ
伏見稲荷の鳥居出てくるソーセージ
一輪車のうしろに乗せてあげましょう
前向きな蟹でとっても食べにくい
母がいるこりこりすると思ったら
家中の蓋を集めて家出する
人はけなしながら褒めるのがふつうだけど、紺さんは褒めながらけなすからね。こわいわ。笑てるし。
紺さんのほくそえんでいる姿が目に浮かぶ。
悪意の中からさらに「ずるい」を抽出。(誰か止めてくれー)
(ずるい)
どこの子やと言われたときに泣くつもり
白く塗ったらしあわせに見えるやろ
謝りに襟の小さい服を着て
泣き止めば私を置いてゆくだろう
詰め合わす開けたらきみが泣くように
3句目、大好きです。ただこのずるさは本当にずるい人にしかわからないのかもしれません。
作者の中にもおんなのズルさがあり、それを自覚していてあっさりと自己批判まで持っていく。
そうやって書かれた句の他人事ではない私性に読み手は安心感や共感を覚えるのだと思うのです。
実際はもっと振り分けたんです。たとえば「いとしさ」と「せつなさ」と「心強さ」と。もうねキリがないので
やめました。十分楽しんだし。だもんで最後にどんとまとめて。
(その他)
シャワーを浴びてちょっと汚して帰ります
捨てたのに環状線の網棚に
くださいと頼むほどではないんだな
しっぽ振るまでずっと頭をなでられる
食パンのだんだん厚くなる家族
春になるたび切る人形の前髪
目が合うとお母さんだと思われる
ぎゅっと押しつけて大阪のかたち
紺さんをぎゅっと押し付けて、なんか色んなものが飛び散ったような1冊でした。
もういやと鳴けばもういやという名前 久保田紺
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